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Laundry Land

毎日と音楽とあれこれ

本棚のこと

 ”漫画家を目指し始めた頃、担当の「どういう漫画を描きたいか」という質問に、自分は「本棚に並べておきたい漫画」と答えた”

(日向武史あひるの空」36巻帯コメントより)

 


自分の本棚はありますか?
どんな本が並んでいますか?
そこに並ぶ本をあなたは全て読みましたか?
その本棚を人に見せたいですか?

日向先生が使った「本棚」には、どこか意志のようなものを感じた。 

 

本棚さえ見ればその人が分かる、という時代ではないが、それでもわざわざ購入した本が並んでいる本棚からその人の趣味や興味、考え方を伺うことはできる。

  

shiomilp.hateblo.jp
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 一時注目されたこの記事からは、確かにその人がどんな人なのかを想像できるヒントが本棚には隠されていることが分かる。
実際、以外としっかりした本を読んでると評価されたこのAV女優は数年後、自分でしっかりした小説を書き上げた。

 

最低。

最低。

 

 

「どんな本を読んできたかでその人が分かるから、本棚を見せるのが恥ずかしい」というのは自然な考え方だと思う。
ところが、ここ最近の、何を食ったか、何を買ったか、誰と会ったか、何処に行ったかなど、自分らしさを無理やりに作って発信するところまでが1セットの人が、書籍にまで手を伸ばしてきている気がする。

順番が逆なのだ。読んで自分のものになる、自分のものとするために買う、では。

それを助長する象徴のようなものがヴィレッジヴァンガードだ。
漫画、雑誌、小説から専門書まで、乱雑に積まれる本に実は共通性があって、その持ち主の脳内もこのように豊富な知識とそれを組み合わせるユーモアがあるかのように思わせる店内。
そういった理由で”本を持つ”ことに憧れる人がいておかしくない。意外と高い本の値段がその事態の爆発的な流行を防いでいるだけなのかもしれない。
ただもし、そういった理由で本を買っていくとどうなるか。想像に易い。本棚というよりむしろ、3Dインスタグラムができあがるのが先だろう。

 

別に、本を持つということ自体に線引きをしたいわけではない。 「本=読むもの」という単純な関係を保ち続けられない事態が発生する、失敗が絶えない現状があり、それはヴィレヴァンに通う若者だけにとってのことではない。


本を買うことでの失敗というと他にもある。”積ん読”という言葉をご存知だろうか?

 積ん読:買ったはいいが全く読まず、ただ本を積み重ねる様。
(東京大学の入試問題でも”積ん読”の意味を説明させる英作文が出るほど画期的な造語だ。)

この積ん読が発生する原因は全てその読者、いや購入者にある。
難しそうな内容の本と格闘し、読み終わった暁にはどこか一回りでかくなっているであろう自分を想像して買ったはいいものの、いざ家で1ページ目を開いたところから記憶が。。。うむ。

ただ、買い物としての失敗、と言い切ってしまうのはその本には申し訳ない話だ。未知に手を伸ばす楽しさも本を買う楽しみの1つだろう。今興味がないように思えてもいつかは、ふとしたきっかけでその本に手を伸ばしてみることになるかもしれない。

そんな本がいったい本棚に何冊ありますか?


この積ん読と長年格闘する中で、本そのものとの向き合い方、確固たる本棚との関係を築いた人がいる。映画監督の西川美和先生だ。


”学生の頃はフリーマーケットで買ってきた小ぶりな棚に、数は少ないが自力で選りすぐって大切に読み込んだ本が収まっていた。その本のほとんどは端々に犬の耳が折られ、傍線が引かれていたはずだ。そういうものが「蔵書」であると思うしそういう読書をしたいと思う。今の私は自分の持つ本たちと愛のない希薄な関係しか結べず、その上彼らによって家を追い出されるとしている体たらくだ。情けない。
けれども、かつての名残がわずかに残っているのかささやかな抵抗か、いまだに私は自分の本棚には、どんなに下らなくとも一通り目を通した本しか融通しない。ハルキ・ムラカミだろうとチャンドラーだろうと、融通しない。私の関所を通らぬ限りは、地べたに寝ろ、だ。(一部省略)”

(西川美和「映画にまつわるxについて」)

 

本棚とは蔵書をしまう場所であり、蔵書とはとにかく一度読んだ本のこと、と明確な掟を西川先生は築いた。積ん読は解決したいが、”自分の”本棚だけは守り抜く姿勢は素敵だ。

 

 本棚に目をやれば、読んだことがある本が並んでおり、内容を忘れたものももう一度読み直して思い出せる。微かに残っていた本の内容が他の何かに結びついた時も、その情報の所在は本棚を見渡してみれば分かる。

思い出せるように預けておく。それが人と本棚の築ける信頼関係であり、本棚が人を表す由縁なのではないか。


そもそも読む気のない洒落た表紙の本をいそいそと本棚に飾っている暇はない。(SUDIO VOICEなんて何のために買った!?)
統一感なんて気にする必要はない。何度でも読み直したいからこそ、寝床の周りに積んでおくのではなく、いちいち本棚にしまうきだ。

 

かくいう自分の本棚には「あひるの空」が奥の方に並んでいる。作者の熱がこもった素晴らしい作者なので是非。

 

 


ねごと - ふわりのこと

 

 

MINAKEKKE・高井息吹 のツアーに行きたかった

5月23日@下北沢Basement Bar

 

・  MINAKKE(minako)

youtu.be

 ループマシンを使う人のライブはまず、見ていて楽しい。

 

 

youtu.be

呼吸の音、弦を離すときの音、声、いろいろ重なって、沈んでいく。

 

 

 

 

 

 

・高井息吹(Eve)

youtu.be

 すごい人。

 

youtu.be

足を踏み鳴らして、指を鳴らして、音楽そのものを体現してるようなライブだった。

漂うジブリ感。

 

 

 

二人とも三鷹にある「おんがくのじかん」を拠点に活動。

高井息吹はもうポカリのCMタイアップもしてる。知らない間にみんな聴いてる、きっと。

 

 

 

青葉市子、見に行きたいなー

 

 

 

Beat Happening の「唄歌いたち」という企画に行きました。

 

 

 

 

「結果発表」を使うとしたらここしかない説

大学生
f:id:ray887:20160512090131j:image


受っかるっかなー!受っかるっかなー!受っかるっかなー!京大もっしかして受っかるっかなー!

歌ってたら

親にこれから合格できる可能性を真面目な顔して問われました。お久しぶりです。




結果発表!!



2016年度入試
京都大学総合人間(文)
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓

センター    120/150
国語            65/150
数学            80/150→106.66/200
英語            118/150→157.33/200

総計              476.99/800
合格最低点   488.41/800


あと 11.42




ああ、忘れてた、世界史ね

世界史ね。。。



結果発表!!
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓

世界史    28/100







ブワッ(((((((((((((((((;´Д`A


ブワッ(((((((((((((((((;´Д`A


ブワッ(((((((((((((((((;´Д`A








英語で8割近くとって落ちる奴なんて他にいたのだろうか。


世界史
28+12=40

4割とれてりゃ受かったわけで。
一応東大目指してたわけでプレとかでも6割は取れてたし世界史は最後まで詰め込んだよ。



その結果の28点。


似たようなことがあったね。
センターの地理60点事件ね。



結果発表!!
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓


明日からも胸張ってわせしょう。







「頑張ったから落ちたけど後悔はないです」
とか言えねー
だってさーー
ねーーーーー


ブワッ(((((((((((((((((;´Д`A



書を捨てよ、(スマホも置いてけ、) 編

「春はあけぼの。引っ越したばかりの白いアパートの二階からゴミ袋を持って降りた。見た目は綺麗な建物だけど階段は少し錆びてて音が怖い。夕方なのにまだずいぶんと明るいことに気づいた、新しい街の空気にまだ慣れてない。ゴミ袋を一度おいてアパートの壁によりかかって一服。これから喫茶店で時間を潰して、夜は映画を借りてに行こう。あ、ケータイが鳴ってる、誰からの誘いだろ。。」





おはようございます。
夢→目覚まし の話です、これ。


3月。
自分がやりたいことのために動ける時間だと思ってた。
待ちに待った三月。
全てが一新する三月。
止まったままの何かが動き始める三月。

だけど受験が終わってみたらなんのことはない、白河夜船と毎日寝るのみ。飯と睡眠の応酬で憧れの三月ももう終わる。。

これも夢→目覚まし の話かもしれない。




これはまずいと思って、







からある程度経って、




映画を見た。
この時まで僕はまだ一本も映画を見ていなくて、ダルかったけど見終わって、動き始めた。



【僕編】

・書を捨てる
言葉通り、予備校の一年なんか無かったかのように受験関係の参考書、プリント類は全て捨てまして。引越し業者の言う「紙の爆弾」を何発も投下してきました。
早慶、旧帝の赤本、青本は全部で4千円で買い取られた。



スマホを置く
更新が止まらないよ。
ツイッターフェイスブックで「おめでとう」が飛び交って、それぞれの所属先欄が続々と追加されていく時期もひと段落したと思ったら、

今度は大学のクラス、学部、サークルの輪に入るためにまた気合いを入れてスマホを握りなおす時期が来るとか、来ないとか、来るとか。

 




ハッピーバースデイ、ツイッター
晴れてお前も10歳、おめでとう。

10年間人と人を繋げてるお前はすごいよ、だけどな、

2006年 メジャーデビュー
2008年 紅白初出場
2009年 レコ大にノミネート
2010年 武道館公演
2012年 紅白の紅組トリ
2013年 500万枚突破
2016年 ベストアルバム発売

これがお前とタメのいきものがかりの略歴だ。
まだまだ今の状態で満足するなよ、あいつら紅白の常連だかんな。

しかもな、1989年に水野と山下が小学校で生き物係になった時からカウントしたらお前、いきものがかりは大先輩だかんな、あんま調子に乗んなよ、マジで。

調子に乗って一万字とかになったら後がやばいぞ。

内山信二も10歳の時にピークでぼろ儲けしたらしいけどよ、あいつの人生見てみろ、調子に乗ると後でロクなことにならない日がきっとくるからな。






僕は、SNSを更新する比率も、文章の書き方も、やるかやらないか自体も、その人のその日のコンディション次第だから、やっぱりSNSありきの人間関係は大したことないくらいに思っといた方がいい、と思う界隈の人です。

例えば、ツイッターとかグループラインとかで、まあまあ際どいラインではしゃいでる人がいたとして、その人と実際会うってなった時 、

①実は控えめでいい奴そう。話もよく聞く。
②本当にめんどくさくてうるさい。そして大したことなさそうな馬鹿。

だったらどっちがいい?


僕は後者の方がまだいい。
せめて文章上の自分と等身大であれよと思う。
まあその人と付き合いが続くかは別として。」


おはようございます、現実→現実
夢じゃない。。変なことばっかくっちゃべってたらもう4月入ってる。。。






町に出よ編、に続く




呪縛と祝福

受験生
どうせさ
浪人生のみんなは、東大京大に受かった瞬間から狂喜乱舞、欣喜雀躍、田舎のおじいちゃんおばあちゃんに電話をかけまくって、祝福の言葉を恥じらいもなく頂きにかかるわけだ。
一見スカした顔をしている彼も、心の中では安堵と快楽に浸りきってよく見たら口の端からよだれがこぼれちゃうくらい喜んじゃってる。
それくらいめでたいことです。
合格は。

分かる。
ただ、そうなってからの君達は人の話なんてさっぱり聞かないだろうから、国立の発表前に伝えたい俺の気持ち。






「「受験ロジックに縛られるのは、もう辞めようじゃあありませんか!!」」


サンボマスターの山口君くらいの熱さを込めたこの言葉。





「受験ロジック」
分かりやすく言うと
国立>私大、三田日吉>sfc早慶>MARCH。
みたいなの。

こうやって、たかが所属先に過ぎない大学に、一括りに優劣をつけるのはもう受験期間も終わったしいいんじゃないか、ってことです。

僕たちはあれだね、自分について、所属してる枠とか集団の中の一人、っていう固定されたイメージを持たれるのを嫌う面倒くさい人間のくせに、大学については所属することの安心感を求めすぎちゃってる節があるね。都合のいい面倒くさい奴らだね。

この都合のよさを自覚しないと、この先、人と相対しながらまともに生き続けるのに無理が出てくると思うんだ、俺は。

例えば、憧れてる人5人をあげた時、全員いい大学出てるってことはないんじゃないの、特に文系。
社会に出たらどうせ気づかされることを、先に割り切れるならそっちの方がいいじゃん。


受験という1年間の努力が実を結んだこと。
その喜びと優越感を、自分自身の評価そのものに置き換えた瞬間、その優越感は安っぽい勘違いになっちゃう。
一生生ぬるい安心感に包まれるとでも思ったか、下手したらその勘違いは人を傷つけるぞ。



別にめでたい人たちに冷水をかけたいわけじゃない。

社会に出た後の実力至上主義を言いたいわけでもなければ、
(そもそも〇〇至上主義って言葉嫌いだ。何かの側面を過信しすぎてるだけで、返って自分を縛り上げるだけだ。
何かに固執することはよくない、特に人に関係することは。)

受験のことを身も蓋もない儀式だなんて、もちろん思ってない。

友達が国立に受かったらそれはすごい嬉しい。





だけどさ

僕「一浪しました。国立に入れませんでした。」
友「終わってんな、おつかれ、頭弱いな」

さすがに泣ける。

僕「俺は、計画的に勉強する、ことが苦手で、それを、最後まで克服できなかった、だけ、だ!」

ああ、泣いちゃった。



でも実際言ってることは合ってる。

振り返ってしまえば、残酷だけどそれだけの話だ。
受験勉強で得られる結果は合格か不合格かの二つだけで、これからの生活の結果にそれまでの過程は直結しない。いくらでも挽回可能。
受験に失敗したことは絶望の一つの基準ができたってことで手を打とう。仕方がない。経験。




だからみなさん、
例えば東大京大に受かったからといってそれをふりかざさないで下さい。




だけど違うんだ。僕が嫌いなのはそっち側のふりがざす人たちだけじゃない。逆も然り。

幸いなことに、僕はまだ、嘘みたいな学歴厨には出会ってないけど、
ちゃんと受験について考えたら誰だって大なり小なり学歴にこだわった思考に落ち入りがちになる。
きっとみんな同じ。
それは仕方がない。受験の当事者がいる環境はそういうものだった。


その環境が生んだ、学歴に人の価値の重きを置く輩。
こいつは決して受験で成功した側だけにいるわけじゃない。
第一志望に進学できないことに落ち込んでいたずらに自分を責めて時間を無駄にする人も、この受験ロジックに縛られてる、輩、であり、さらにタチが悪い。




「俺なんかに○○大学は無理だったよ、やっぱ甘かったね、受験に対する姿勢がさ。俺みたいな中途半端な奴は××大学がお似合いだよね、へへへ」

的な感じのやつ、なんならこれをそのまま口に出して人に言っちゃうような奴、(まあ去年の俺みたいな奴)

帰れよ、
春だからって出てくんなよ、
調子に乗んなよ、
だいたいその物言いはなんだ、
親に失礼じゃないか、
自分にも向き合えてない最低の野郎だな。
春はお前たち能天気を活発にさせる季節じゃないからな

今思い出しても恥ずかしい。




さっき言ったように、友達が第一志望に受かったらすごい嬉しい。
(というか僕が私大に受かって喜んでくれる人がいることの暖かさね。ありがとうね。)



受験ロジックという呪縛から解放されてますか?
もしそうならそれを祝福させて貰おう。









まあ、ぶっちゃけ、祝福というか、あれだ

きっと、俺は早稲田に行くことになるとと思うから、まあ、今のうちに、そういうことにしといて、って話。



動輪の下

で待ち合わせ。
京都に行きました、いい街でした。
受験してきました、逃げ帰ってきました。
受験生の皆さん、お疲れ様です。


企画、構成で〇〇年!

なんて映画があるなかで

僕の受験生活はいったいどれほどのものだったのか。

企画、構成、制作:1年

大型グランプリのノミネートなし。



そもそも
この1年という時間がどれほどのものか。

企画、構成をしっかりして、受験生活に綺麗に沈み込めた奴は、そんな辛くもなかった、終わってみるとあっという間、とか言うけどさ

僕には長かった

自分がずっとイライラしていることを自覚してからはなるべく友達に会わないようにしてた。そんな1年。



もうどこでもいい、大学生になりたい。
いつからか目標がすり替わった。

人間は過去を無意識に美化するものだとしても、
「あの一年は死ぬほど勉強した、いや、むしろ死んでた」
なんて言えるかはわからない、
「凌いだ、死ぬかと思った」
が一番しっくりするかもしれない。


この1年の結果がこれからの人生に対するどれだけの投資になるのか、そんなこと考えると嫌になる。
まあ、なるようになる。
というか、なるようにしかならない。


1年あれば、ARTSCHOOLが活動休止を発表して、活動再開を発表できる。

1年あってもHUNTER×HUNTERは一話も進まない。
 
1年かけて僕は大学に入った。


その1年の重さなんて後付けでしかない。
ただ、企画、構成が大事ってことはよく分かった。
でも、長い時間をそれに費やしてもスベる映画がいくらでもあることは事実。


ただ、受験は失敗したらやばいけど、
いや、一回失敗してるからやばかったんだけど、
この先当分は何をどう失敗してもいいと思うと気が楽。


というわけで、浪人生活は終了。
第2クールはなしです。




密かに始めたつもりだったこのブログ、2月に150人くらい閲覧者がいて、誰が何を目当てに読んでいるのか分からなくも興奮していたけど。普通に知り合いに見られていたらしいね。
なんだよお前ら、受験お疲れ、遊ぼう!

一日天下

受験生
中央大学の法学部のセンター利用の結果が出てて、受かってたんだけど、まあ天下ってほどでもないんだけど。

父「お前これ法学部だけど政治学科じゃんか」
母「あんた法学部のキャンパス遠いけど通う気あるの?」

僕「あ。。。」

なんか押さえになってるのかなってないのかよく分からないからとりあえずノーカウント。



いや、でもあれだわ。スマホで合格発表確認すんのって怖いね。
「さすがにA判定出てたから大丈夫っしょー」
とか思っててもやっぱり緊張した。中央。


〜1年前〜 

都内映画館

僕「ギリギリだけどいい席取れて良かったな、平日だけど春休みだし。混んでなくて良かった。」
友「そうだね。」
僕「うん。」
友「あ、そういやさ、お前、今日東大の発表じゃなかった?」
僕「え。」
友「違った?」
僕「え、嘘。。。。。あ、本当だ、今日だ。」
友「番号は?」
僕「覚えてる。え、今見る?いや、まあ一抹の期待もないけども。」
友「見ようか」
僕「まじかー。えーーーーーーーーーーと、あ、、うん。落ちてますね、浪人決定。」
友「お疲れ様です」
僕「はい、お疲れ様で

ブーーーーーーーーー(暗転)

僕「まじか」


こんな感じのことがあった。
映画は面白かった。確か園子温だった。





この時に比べりゃ今年はそりゃもう頑張ったよね。そりゃ緊張もするわ。




「緊張するってことは一年それなりに頑張ってきたってこと…」

大宮在住の同級生ニートからもこんな応援の言葉頂いたし。
松本人志ツイッターの感じで。




K商ミスったという不安に押しつぶされそうで、いやもう押しつぶされてはいるんだけれど。
早慶大丈夫なのか本当に。
怖くなって中央にお金振り込んじゃったよ。
24万。
ごめん。

今年はたくさん映画館行きたいなあ