Laundry Land

いよいよ就活生。

シャルドネと花見

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西の方ではとっくだよというなかれこっちも梅雨入り間近、仕事終わりに虹が見えてラッキーと呟くサラリーマン戦士の横に立つ俺だってもうサクマドロップスのハッカ味にギャーギャー言ったりしない大人。誰だって誰かの目に映ってる以上は自分の見せ方を演出しているのが俺の持論と野田クリスタルがようやくラジオで正気を取り戻しつつある2021年5月17日、湿っぽい空気が無性にシャンパンの気分にさせてくるから、今夜は久しぶりにコンビニのスパークリングを装備して2011年6月5日のシャンパン特集を再生中。歌舞伎町の鮨屋女子トイレに貼られた裏メニューその名も姫セットの内訳がAM電波に乗ったこの放送を聴くのももう何回目か分からないけど、番組第8回目にして完成されていたラジオを夜中の横断歩道仁王立ちで聴いている。MPCに火を入れたDJがジャネット・ジャクソン流しながらキャッキャしてるのが憎たらしいので以下2021年2月7日の日記を更新。

 


起きられた自分に感心する。
無理やり自分の財布から会計をして、抱きつく酔っ払いを電車に乗せて、自分の終電がなくなったことに気付いてからの記憶がしかし曖昧。だけど案の定スマホを充電機に装着のうえ目覚ましもかけた数時間後、すりむいた手のひらに舌打ちしながらとにかく仕事には間に合った。


昼に池尻のあたりで予定が終わって、そこから渋谷まで歩いた。春だった。高速道路の看板もいつもより青い。


オードリーのANN、昨日収録した特番の内容を「話していいのかな」を挟まずに話しきった春日にグッドトゥースを感じる。オードリーがテレビで漫才をやったことも分かって嬉しかった、聴き終わってすぐに情報解禁されていた日曜昼の漫才番組は楽しみなメンツ。オードリーがどの立ち位置で出ているのかは気になるけど、漫才師兼MCだとしたら余計に嬉しい。


トイレを借りるつもりで入ったBunkamuraでやっていた写真展に入る。途中で食べた炒飯の具に、おそらく半玉くらいのニンニクが入っていたせいで腹以外が爆発していた。ユーロスペースのトイレがいっぱいだったせいで、もぐりこんだ写真展はなかなかよかった。


『写真家ドアノー/音楽/パリ』
30〜90年代にフランスで活動したロベール・ドアノーの作品群ほとんど全て、音楽家と音楽の流れる場所を写したもの。
流しのアコーディオン奏者ピエレット・ドリオン(と歌唱を担当する相棒)を映したシリーズはどれも完璧で、飯屋やカフェ、移動の河原から肉屋までもが彼女たちの舞台、美しい女が楽器を抱えて歩く生活すら想像させる写真は飽きがこない。けだるそうに、無関心なようにも見える表情でいったいどんな音楽を弾いていたのか、聴けないのが惜しい。
「なぜ二人はポケットの形を変えるほどの小銭ももらえない世界で日銭を稼ぐ生活にこだわるのか、私にはまったく理解できなかった」―― ロベール・ドアノー
写真は真相じゃなくて真実を写すまでで全てなんだということは、少し勇気づけられる気がした。物語を想像させる一枚を撮り続けたい、それは商業作品でもいい、というスタンスと略歴に矛盾を感じることは一切なくなっている。
必ず右側の唇でタバコを咥えるジャック・プレヴェールを写す作品も、チェロ弾きのモーリス・バケと制作した面白シリーズも、とてもチャーミングだった。


センター街は賑やかで、一瞬マスクを外した口元に触れる空気から春の匂いがした、この時期特有の浮き足立つ高揚感にあてられるのは二年ぶりだ。なんらかのチャートに則った商業的選曲だからといって、街中に大音量で音楽が流れている景色はそれでも尊重されるべきものだなと感じて、乃木坂とSUPER VEABERの新曲でさえその場に立ち止まらせる力があった。


渋谷から井の頭線で浜田山という訳もわからない駅で降りる。吉祥寺から乗った相手と各停がぶつかったところを散歩する取り決めだった。ガッツリ話す感じが久しい、と言われて初めて気づいたけどその通りだった。


結局バイトお笑いの話になるけれど、それは自意識と社会との話でもあって、お笑いを通した会話は批評よりも自分ごとになりやすい、なぜなら笑うという現象から始まるから、ということがよくわかった。お笑いの共通言語は、単語は最低限必要なのだけど、現状認識と未来への欲望を同時に考えさせるから非常にいいと思う。未来にフリ続けて現在でボケ続けるのは健康的、これは言い過ぎか。


ボケた芸人が叩(はた)かれる様を見てかわいそうと思うことの野暮さ、みたいなものを確かめ合いつつ、でもお笑いに何かを期待する俺と、現象だけがそこにあって面白いかどうか判断する相手とでは大きく違うことがわかった。作品であれば、常にそこにあるものとして扱えるけど、お笑いは脳内で構築される何かとの差異を楽しむ娯楽になっている。
ザコシが優勝した頃、アイツはヤバイだのイカれてるだの言う人が多かったけど、俺はそれにはピンとこない。そういう奴らは大概サイゼリヤのドリアに自分からタバスコを振りかけて辛い辛いはしゃいでる奴らだ。芸人は確かにヤバイくイカれているかもしれないが、表現しているネタやキャラの群と人格そのものを重ねて評価できると思い込んでいる人の方がイカれてる。
そんなことは別に話していない。酔っぱらったのでほとんど忘れた。
自己紹介のように、私は正気と理性の人だ、と言っているそいつに話を聞くと、それは(自分にとっての)正気と理性ということで、(自分にとっての)を言わない詐欺を真面目な顔で働く相手が自分の友達だというのが嬉しかった。
ママタルトって売れたじゃん?と言うのはもはやバグったやつであり、そんな奴の正気なんてまるでアテにならないのだ。しかしそんな会話こそワインのあてに過不足なく、楽しい。だけどどうやらギガラジオリスナーが「解」を導き出すやつとして他人から無条件無責任な信頼を付与される世界で自分も酔っ払っているらしく、世の中は思ったより見た目や声色で人にかしずく人が多いのだと思った。ここまで五・七・五・七、まーごめ、字足らず。


煙草を吸いに外に出ると、数軒隣の店から女子の歓声が上がっていて、飲み会かと思って見るとガールズバーの店員が客を送り出すところだった。客のクロックスの色を褒めていた店員の一人がロングの茶髪を巻いていて、あの人はそうとうな腕だと、俺はあれがカツラで、地毛は黒のショートだとしてもまったく驚かない、みたいなことを店に戻って話した。クロックスを自然に褒めるために茶髪のカツラを被れるか被れないか、ということは自分ごととして往々にあるわけで、ましてや芸人なんてまさに全員茶髪の職業なから、自分で何かフリを作って楽しむときはそのことも念頭に入れるくらいの感覚は持っていたい、その感覚が鈍れば鈍るほど楽しめなくなるのがガールズバーでありお笑いではないのか。
これらは、霜降がANN0で元気薄いとぼやく相手に、そもそも3時から始まる番組だからじゃないかと指摘したことから始まった会話だった。


マッチョな男は大好きで眺めたいけど、ごはん食べるならやっぱりキレイな女の方がよくて、結局キレイな人に面白いと思われたいなあという俺と、かっこいいじゃなくて面白いなんだねと指摘する、フリートークで他人の輪にカチコミに行きたい欲があると言い出す友達と、ワインを飲む人たちがいた。


昨日はベロベロになりながらも、トムヤムクンで痺れた舌先が触れた白ワインがべらぼうに美味しかった記憶だけは残っていたから、冷えた白ワインを美味しく飲みたい気分だった。浜田山には美味しいワインを飲ませてくれる店があった。桜が飾ってあったので、以上は花見で酔っぱらった阿呆な思い出として記憶してある。


相手もまた正気と理性の品格を示すために日記を書いているので、俺はこの日のことを相手が楽しかったと記している安心感とこそばゆさを全て確認したうえでこれを書いて、寝かすことにする。
 

2018年まとめ【36本】

アクセスありがとうございます。

このブログは、大学生の自分の心に残るエンタメ作品と自分の生活を、好きな言葉で書いた記事を更新したものです。以下は2019年頭に、去年1年間に更新したものをまとめたものです。気になるものがあれば読んでください。

最近は更新が途絶えていますが、友人とnoteで週替わりのお題について連載する活動を始めました。そちらの方が今はメインになっていますので、クオリティは上がっていると思います。そちらもよろしければお願いします。

それでは↓

 

***

 

あけ・してお・で・うございます。

2018年はこんな年でした!面白かった〇〇best10はこちら!なんていうものを年末たくさん見ましたが、自分はそれができるほどの性分でもなければ知識も無いし、何より「ま」「と」「め」の三文字が脳みその中から出て行ってしまったようで、まとめるどころかロクに新年の挨拶もできない状態です。というわけで、とりあえず去年書いたブログを自分で振り返ります。

これは流石にひでえや、というもの以外は全部乗っけたのでよければ見てやってください。(3年前に書いた地下室タイムズのエントリーが未だアクセス数一位なのが恥ずかしいのです)

なんで俺これ続けてるんだろうというのはピンとこないまま、読んでもらうためだけに書いてるわけではないけど、読んでもらえると嬉しい、みたいな。でもまあ一年で50本近く好きに書いていたので、もうこれはきっと続けるんでしょう。気に入ってる。一年分ざっと見直しても意味は見当たらなかったけど、誰かに向けてるわけではない自分の文章はちょっと面白かった。

「ま」と「と」と「め」が戻ってきてたみたいです。まとととめ、ってなんかマコーレ・マコーレカルキン・カルキンみたいですね。

それでは。今年もよろしくお願いします。


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*「斯々然々」期間内の雑記。収まりを気にしてはいるらしい。


最初だからって見栄張りすぎ


熱海と小沢健二


新歓の疲労近藤聡乃


ぎっくり腰と婆ちゃんとポップカルチャー


平成と喫煙。ESで少し使った話


暑くてイライラしてなんかサッパリした夏


絞り出した感。忙しかったのでしょう


ブックオフと台風


池袋と意欲とストリート飲酒

 

*フィクションにしちゃえば何言ってもいいのか!


そうそう新歓こんな感じだった


シャノワールで夏の天才を聴いてた


知り合った人のツイッターフォローしすぎて少しパニックになった


みんながクソダサく見える病にかかった

 

ウケが良かった。あるあるなのかしら

 

*ちゃんと書けたつもり


ポケモンと、粋な夜電波ブーム


めちゃイケは今見ても本当に面白い


カッコつけすぎ


自分は批評とかレポとか書けないんだなと思い知った。こんなオチだったか


英語の授業で習ったことをそのまま書いた。オチの形はAマッソ加納のコラムより


いけるいける書ける、と思ってたけどやっぱ無理だったと諦めたのがわかる


今年一番の思い出


あれ?お前いっちょまえになんか書こうとしてね?→


→ほら、前回手応えなかったからこうしたんだね、わかるよ


シットコム見た影響がすごい


背伸び


すごい発見したと思ってオチに入れたのにあまり賛同得られず。二ヶ月後見てろよ


去年最後。今と地続き。なんか焦ってる

 

*おふざけ


名前がなんかツボだった


岩井のフリートークがマイブームだった


結局バイトは3日で辞めた

 

 

*特定の他人について


飲みの誘いを既読無視してるごめん


RHYMESTER「肉体関係part2」より


上のもそうだけど、この時期はポケモンをオチに使ってた。3DS買った頃


そんな面白くないけど300字でまとまるのでESで使った

 

*アルコール任せの読み直したことないやつ。思いつくままに書くとこうなるという結果


後輩に触発されかかるが終電を逃したせいで目が冷める


就活とライブハウスでヘンになる

 

 

 

以上!

 

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#WASEDAARENASUMMIT

大学四年になって、OBという肩書きを取得した。肩書きを誇れる奴は楽だと思う。ガリガリの体にはかけられるタスキの一本一本が重い。

後輩が先輩になっていくけど俺はどんどん離れていく。去年まで、ライブ制作のような活動を享受していたのが夢のように遠い。


アーティストの出演依頼、ギャラ交渉、会場の予約、デザインの用意、情報解禁、チケット販売、当日運営。全部やる。あの活動を通して、ありふれたライブイベントの一つ一つは大変な産物なのだと実感した。成立させているのは、カッコ良く言えば関わる人の情熱で、冷静に言えばビジネスとしての視線が必要なのだと。

自分がお世話になった人たちは、冷静と情熱の狭間、どちらかといえば情熱というか心意気を買ってくれる有り難い人たちだった。今の自分のスタンスに多大な影響を与えてくれた。


いろいろ学んだけど、実際に活動したのはサークルという枠の中で2年間ほど。イベント制作者という視点で過ごせた時間は本当に短くて、実際に企画を動かしている毎日は非日常であり続けた。

つまり、ずっとワクワクしていた。


ワクワクの中心にあったのは、ブッキングというやつだ。

このアーティストとこのアーティストを同じイベントに出すことの効果を期待して、ワクワクして、冷静に見直して、一般的な4組の対バンイベントを企画したのが最初。

自分が好きなものを掛け合わせる楽しさというのは誰でもわかるだろう。

ファッションも、時間割も、ドリンクバーも。

面白いだけじゃできないけど、それでも、このブッキングという活動は楽しい。


4組出演すると仮定して、1組の出演が決まると、残り3組の選択肢というのは、すでに決まった1組との相性を考える結果狭くなる。

ピタリとハマった組み合わせを試行錯誤して、それが用意できると、広報にも俄然力が入る。むしろこの組み合わせ以外正解はないような気がしてくる。この主催者のセンスを、出演者の化学反応を、楽しんでもらえるのだろうか。いや、楽しいのは間違いないからそれをどう伝えて実際の収益につなげるかが俺の仕事だ。なんて。


組み合わせの妙は実際にあるし、これが好きならこれも好きだろ、という半ばお節介なレコメンド精神が満たされる瞬間というのは、自ら表現者ではないという負い目を感じながらも確かにある。「○○目当てで見に行ったら××が良かったから思わずCD買っちゃった」なんてツイートは涙腺に直接響く。


ブッキングは楽しい。二会場のサーキットで出演者14組というイベントに関わった。音楽ジャンルの横断を歌ったユートピアは、主催陣営のとてつもない気合いと、気合いしかない主催の気持ちを汲んでくれる粋な人たちによって熱量を生んだ。

ブッキングは片手でギリギリ数えられるか否かという人数で担当して、迫り来る締め切りにビビりながらも、やっぱり楽しかった。

 

こんな経験を俺はした。それで終えた。


***

 

この夏、早稲田大学にどデカイ施設が生まれた。早稲田アリーナと呼ばれるその施設を早稲田祭で使わない手はない。大きなステージ、大量のキャパシティ。とにかく大規模なイベントを打つにはもってこいの会場。オリンピック開催のためにライブをできる大箱が少なくなるという、2020年問題なんてなんのその。早稲田生のための4ケタ収容の巨大箱。

この会場を使う最初の学祭の企画が解禁された。ビッグなメジャーアーティストのワンマン。

情報は拡散され、現在告知ツイートのリツイート数は4ケタを超える。

トップアーティストの出演は、収益という面ではおそらく及第点を叩き出すのだろう。


すごいことだ。


あの規模のアーティストと交渉し、出演承諾にこぎつけ、解禁日を調整し、情報解禁した。

これだけのことに、何箇所と何往復のメールを送り、いくつもの指摘を受け、いくつもの妥協と調整と粘りが必要だったか。想像できない。

それでも今日、何も知らないOBのもとに情報は降りてきた。すごいことだ。


***


この企画は、規模が大きい。

規模というのは単純に動員人数のことだ。客が多いとなると会場が大きくなり、予算が大きくなる。自分が経験した下北沢200キャパの企画の何十倍もの大きさなんて想像できない。

そして、招く人数が増えるということは、ホスト側も大所帯となる。通常の公演なら、事務所、レコード会社、イベント会社、制作、舞台チームというように、それぞれがそれぞれの立場で仕事をすること前提に協力する。当日の運営も、ブレインとプレイヤーのように訳も分からぬバイトを仕込んだりする。


ただ、学園祭のイベントというのは全て学生が行う。そして、今回のこの企画は、複数の団体が協力する形で解禁された。各団体に所属する人員は3桁に及ぶのだろう。


手を組んだ団体は、それぞれが普段から、各団体単体で魅力的な企画を開催するセンスと能力が揃う団体であり、所属人数が扱えるにふさわしい規模の企画を開催してきた。

それが今回、爆弾のような規模の会場を一枚岩になって相手し、ワンマンイベントを開催する。


***


本当にすごいことだ。


自分だったりやりたくないな、と白状できる。

どのような過程、どのようなやりとり、どのような使命、どのような気持ちを持って連盟を汲んだかは知りようがないけど、人がたくさんいる集団が決定をして、進めるというのは絶対に骨が折れる。


俺たちはこれで行く。

このアーティスト1組で勝負をかける。

運営は絶対めんどくさい。でもやる。


そう決めたのはすごすぎる。


自分はワンマンイベントを開催したことはない。

どんな規模であれ、ワンマンライブというのは、必然性そのものだと思ってる。

求める人がいて、求められる人がいる。それを接続する人がいる。心意気や、組み合わせの妙で勝負できる土俵じゃない気がしてしまう。違うかもしれない。


ただなんとなく、沢山の人が名を連ねて、沢山の人がそれぞれやりたいことがあって、そんな中で協力して、ワンマンイベントをするというのは、


わからない。

わからないけど、

きっと、我慢した人とか、悔しい思いをした人とか、諦めた人とか。

いるんじゃないかと勘ぐってしまう。


それでも、この企画をこの座組で開催することの意味を考えて、頑張ってるこいつのために全力で乗っかろうという心意気のやつがいて、いろんな気持ちを慮りながらも先頭に立つやつがいて、調整するやつがいて、器になったやつがいる。これは絶対にいる。

そう考えるだけで、なぜか昨日泣きそうになった。


デカイアーティストをデカイ箱にピタリとハメられました!やったね!

だけで喜んでるとは到底思えない。少なくとも初めての会場でこれから当日が待っているんだし、そんな気持ちで活動するような奴らじゃないとなんとなく思った。


なんかよくわかんなくなった。

さっきまで自分の同期と飲んでいたせいか、思い出とアルコールが変にそっちに持っていこうとしてしまっている。

逆に、OBという襷を一度かけられると、もう二度と本気でイケイケで勝負してやろうという気持ちにはなれないんだなと改めて思った。別の場所を見つけるしかないのだな。感傷的にしかなれないんだやっぱりな。


くそったれ。

いや、本当、本当は関係ないんだけど。嬉しいわ今。終電間に合ったもん。

最近こんな感じ(8/12~8/18)

 8/12
『ヴァイナル文學選書』がまだ新宿ブックユニオンで手に入れられると知る。菊池成孔と漢のは欲しい。やっぱり、綴じられていない本をビニール袋に入れて売るっていうアイデアは面白いと思う。流行りのビニ本てやつか、、
恵比寿写真美術館で『ひかりの歌』を見に行くつもりが、14時に間に合う日が作れずついに見そびれてしまう。代わりにNetflixオリジナル『全裸監督』を一気見。
・下北沢GARDENスタッフの横暴な態度がプチ炎上
あの箱の店長がウザいというのはみんな知ってるのだよ。だからってガーデンの企画にはもう行かないと言ってる奴は阿保。嘘こけ。
Twitter:Rika Miduki

 

8/13
大変だ。「霜降りバラエティ」が面白くない。“ネオ寝起きドッキリ”は期待外れ。霜降りから漂うスターになれない空気。お笑いがうまいカルチャー大好き関西弁若者感。そういや「粗品バラエティ」だっけ、あれも正直考察され待ちなのが全く興奮しなかった。ループから抜けたというポイントも、そんなん知らんかったし。次のQJでその側面が強調されるのだろう。読んでしまうんでしょう。
・『文學界』5月号収録、町屋良平『しずけさ』読了。

・今月の『文藝春秋』に掲載された芥川賞選考委員による選評が話題。候補作だった古市憲寿『百の夜は跳ねて』の参考文献に古典でもない小説が記されていて、それが数年前に文芸誌に一度掲載されたきりの作品だったというもの。木村友祐さんはツイッターで、窓ふきという題材について古市から取材があり、彼自身が取材をした人を紹介したものであり、盗作めいた批判心は皆無であること。自分のことを「盗作された可哀そうな無名作家」として語られることに違和感があることを表明した。
引用ってのに対するマナーというか常識を勉強したい。『さらば雑司ヶ谷』の巻末にも作者が好きな作品、アーティストが列挙されていて、なんか下品に思った。というか、それが記載されている匂いが本編中から強烈だったせいで読んでて冷めたのかもしれない。写真家・濱田英明の最新作品集『DISTANT DRUMS BOOK』も、“「へんな」こだわり”として本人が紹介していることのなかに「ステートメントは掲載せず影響を受けたアーティストや作品のリストを載せました」と、大量の名詞が並んでいる。これは、写真という土俵だからしっくりくるのはなんでだろう。

・CINRAでロロ三浦×EMC×ヒコさんの対談記事が上がった。たまごサンドさえポップカルチャーではないか、というように話は転がっていく会話。

 

8/14
・『文學界』5月号収録、奥野紗世子『逃げ水は街の血潮』読了
素晴らしい。
・近藤綾乃『うさぎのヨシオ』(2012)
茶店でバイトしながら漫画家を目指すうさぎのヨシオを主人公にした四コマ漫画。書き込み量のかなり多い作品だった。ウサギと少年少女が登場するコミックなので、絵柄はポップだ。でも、矢印の異なる会話や思考が平行していくなかで、特定のフレーズが物語を推進していく演出や、突発的な出来事に帰着する手法は、『A子さんの恋人』に共通している。
例えば。初めて自分の漫画が雑誌に掲載された日、「本当に載っているんだろうか」という興奮と動揺の間で雑誌を購入したヨシオは、ぼんやり街を徘徊した末ベンチに座り込む。そこはバス停のベンチで、到着したバスの運転手の「のりますか?」に「のってます!」とつい叫んでしまう。
劇団、本谷有希子『本当の旅』@原宿VACANT
肩透かし感はあった。が、今思えば、人物描写に必要な想像力というところでは高く評価できるのかもしれない。でも、写真を撮ったりインスタにアップすることを肯定しないままなのは無責任な時代菅じゃないか。じゃあ貴方はどういうスタイルで旅行を楽しむんですか、どう楽しむのが本当の旅なんですか、というところに欠けるという米ちゃんの感想に同意。
「現実を僕らにとって、いい感じに編集できるんじゃないかなあ、とか」
「後から動画で見渡せるのが本当の旅だと思うんだよね」
じゃがりこという命ずな。「じゃがりこを食べる余裕のある人に悪いことが降りかかるはずがない」
気になった演出・役のスイッチング(説明のテンポを速くするため?キャラクターに対する感情移入をさせないため?)・観光地をスクリーン投影することで、表情の変わらない写真を表現・終盤の実際の車内で口ずさんでる様子、ラインのトーク、車内の心中独白の三場面に分けた構成・走馬灯

・心から感動したのっていつ?という質問。君はいつも揚々とっこれを見たって話しするからすごい。って、俺が最高たくさんあるねって言葉にドキッとした気持ちに似た気持ちになるんだけど、それ狙ったのかしら。かまされたかしら、私。怖いわ!いや、これはでも純粋にいつだ?なんだ?俺もしかして基準ぶれてきてるんじゃないか。いやでもこの時期はそういうもんだからもうしばらくこれでもいいのか、、とか考える山手線。


8/15
バイト。
荒れる現場になりやすい演者で、以前は女性エリアが崩壊したという。初めてセキュリティ会社のマッチョが派遣されてきた。厳しい禁止事項が羅列されていたなか、ジャンプ禁止というのもあったから、目立つ奴らを曲終わりで注意しよう、というタイミングで「飛び跳ねる準備はできているか」とアーティストが煽ったもんで、全員飛び跳ね始めて終わり。あるある。
ライジングが台風の影響で初日の明日が中止。ナンバガのライブは泡となった。

 

8/16
劇団ひとりぼっちのみんな『キャンプ茶毘』を観に桜木町に。アララのDMに早稲田生の出演者からメッセージが届いた縁。失礼な話だけど、どんなものか調べずに行ってみると役者のレベルが思いのほか高くて満足して帰る。物語には、構成とメッセージがあるけど、同じようにキャラクターの造形がまず大切なのだろうやはり。芝居だと本と演技力だ、リアルな描写には想像力が必要になる。そういえば、小劇団にも旧型(典型型?)アイドルオタクおじさん的な層がいるらしい。チェキ特典とか、その財源を確保しながら運営するバランス感覚のようなものに感心した。

アララの投稿頑張ったけどだめだったなあ。

8/17
エンドレスエイト10周年。
考察・批評され倒しているせいで見てこなかったアニメを見ようと思い立ち、二本見る。
・『うる星やつら2 ビューティーフルドリーマー』
この時代の声優の芝居にビビる。
・『パプリカ』
「深夜の夢が芸術映画なら、明け方の夢は長編娯楽映画かな」
「抑圧された意識が表出するって意味では、ネットも夢も似てると思わない?」
「素敵ですよねえ!友達の夢を自分の夢みたいに見れるのって。同じ夢を一緒に」
「夢たちは慄いているのだ。科学によって安住の地が奪われてしまうと。非人間的な現実世界にあって唯一残された人間的なるものの隠れ家、それが夢だ」
現実を侵食する夢っていうのは吸い込んで倒すんだな。この作品が存在するベクトルは何も知らないから改めて調べる。宿題。

あひるの空』を引っ張り出す。12巻でまた泣いてしまった。マドカ、もしかしてmiwaに似てね?

 

8/18
ENGEIグランドスラムを見て思ったこと。いつも通り、普段バラエティで活躍する「元々ネタで勝ち上がってきた芸人・毎年賞レースで活躍する芸人」「一発屋芸人」「第七世代」の三本立てだったように思う。気になったのは三点。

・ナイツの肩透かし感たるや。野球場でやったネタと、ホリプロライブのネタがYouTubeに挙がってひと騒動あったが(吉本とジャニーズネタが消去されていたのは圧力か?となっていたが、塙が単独にむけた鮮度管理で事務所に指示したと。野球場のネタもミヤネ屋がフル尺で放送してふざけんなと。さらに、野球場でやる際には客席の反応とのラグがあることを踏まえてやっているなかで、テレビでそれをみて「テンポが、とか間が、とか言ってる奴ふざけんな」と。)時事ネタをやると思ったらまさかの英語でやるネタ。がっくりだよ。これこそ来週のビバリーとちゃきちゃきで聴きたいが。ネタの指示とかあったのか。
・「お笑い第七世代」という言葉がいよいよ目立ってきた。せいやがラジオで言ったこの言葉が「芸人×芸人」で特集され、いろんな世代の声が集まり、さらに広がっている。この時代にこうしたラベリングは浮上するのに有効なはずだけど、未だに実態がつかめない。

こういた世代感というのは通常何かの番組がホームとして機能していたはずだけど、それが今は言葉だけで浸透している。お笑いの世代感というのは通常何かの番組がホームとして機能していた時代を過去形にしたもののはずだから、言葉だけで浸透していてもイメージしづらいから仕方ない。だけどそんな状態で連発し過ぎたせいか、この第七世代というワードにはもうスベった感じがついてしまった。今更何かの番組ができても手遅れな感じがする。(どうせ今年度中に第七世代という言葉を推したテレビ番組ができるだろうが。三年以内に終わると予想する)でも、それでいいと思う。今はそれぞれの芸人が個人商店としてYouTubeチャンネルを構えているし、そういう世代ということで、何かしらのアクションと連動して共倒れしないホームをそれぞれが持っている状態で、逆にテレビで無理やり集められて変な感じになってもいいと思う。その先輩が03。
・東京03がトリの爆笑問題の一つ前。CM前のあおりは「プレミアム芸人!東京03!!」で、紹介あおりは「単独ライブのチケットはプレミアム」である。ひと昔前のバナナマンの感じだ。(いずれ飯塚さんは何かしらの審査員になる。)「東京03のブランド力」というのは佐久間さんのラジオに登場したオークラが持ってきた見出しだ。「03はテレビのネタ番組を単独の告知として使っている。音楽のアーティスト的な出方」と、それでいいと思う。ホームを他で持っている人が強い状況はテレビがつまらないほど目立つ。ENGEIグランドスラム終わりの飯塚さんのTwitter「今日やったネタのだいぶ長いバージョンも入っている前回の単独公演「不自然体」が今月21日発売ですー。よろしくお願いしますー。」だ。潔い。アプリ課金したい。かが屋とのトーク聞きたい。
書くほどでもないけど、最後のカジサックの質問「YouTuberはよく年収聞かれるんですが、皆さん(爆笑とナイナイ)はどうなんですか?どっちの方がもらっているんですか?」はつまらない選択だった。
「田中の方が一人の番組持ってる。いや、この人は印税がある」
「岡村さんのほうが番組持ってるから」「そうですねえ」
広がらねえ。ナイナイもああいうとき無力だし、太田さんも吉本の若手に囲まれちゃあなんだし、せいやの立花のモノマネ最悪だし、ハンバーグ師匠ありがとう状態。ここまで締まらないモノか。

二度目のブリーチ。結構抜けたけどやはりムラができた。

最近こんな感じ(8/5~8/11)

最近はほとんどスケジュールを確認していない。そんなに用事もないし、明日って何があんだっけ、何かあった気がする、ってなったときすげー困る。そんなノリで過ごしていくだろうから、過ぎたことをなんとなくメモしておいた。正直、この時はこんなことをしてたっていうことをクリアにしておくとか、もうそんなことどうでもいいくらいなんかやってたなって感じを求めているんだけど。そのとっかかりを多分8月中に作れる予感がしているのと、それのベースになることかもしれないから。4月ぶりか。

 

8/5
バイト。お台場
4連勤1休み3連勤が終了。


8/6
久しぶりに朝の高田馬場で解散した。
玉田真也『あの日々の話』のデザインを思い出す。そういえばあれも見れなかった。

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・Tohji『angel』を聴きながら帰った。彼の活動や作品やインタビューを追いかけていると、度々圧倒的なスター性を予感させるのだけど、その求心力の源泉はTohjiのスケールの大きさだった。誰でも受け入れる場所としてのライブや、国内外や知名度を問わないクリエイターたちとのコラボレーションを続けることで、とにかく巻き込んでデカくなるという野心をストレートに更新し続けている気がした。そんな中、今回の作品に対する彼のステートメント

「それは、angelってことだった。俺に宿っているもの、それにフィールしてくれる皆んなに宿っているもの。このミクステは俺の、みんなの生活に溶け込む音を作った。繰り返し聴いてほしい。いつでも新しい表情を見せてくれる音だし、きっとみんなの奥底まで寄り添う音だと思う。音楽よりも、一歩先その先の純粋なangelが立ち現れるはずだから」

自分の思想やスタイルをこうした形で発信するのは初めてだ。まだ誰にも知られていなかった彼が、自分の存在を示す楽曲としてオーデイションに用意した「I'M A GODZILLA DUH」以降、周囲と分け隔てなく混じり、巻き込む共同体としての存在を示す活動でここまで来ているように思う。「お前も同じならDMして」(「Snowboarding」)というスタンスが彼にとっては自然で、実際の制作物になった。一年経ちゴジラはおそらく、より密度の濃い制作期間を求めたはずで、今回の『angel』はその完成形だろう。自分の今の感じを詰め込んで、出来上がったモノのステートメントがこれなら、Tohjiはそのものではない、自分が生み出したモノは共有できる存在そのものであるというアーティスト像を更新したと言える。

“宗教的”というのはヨーロッパでは誉め言葉だ。ムーヴメントは必ずどこか宗教的な熱狂がつきものであり、angelは誰のものでもあるけどそれを生み出したのは自分であるという構えは、自然と人を巻き込む。それすら自然なスタイルとして突き詰めたTohjiが、これからどう動くのかは気になる。というか普通に、すごくいいミクステかつアーティスト像でビビり上がる。普通に話したい。

西加奈子サラバ!』完結。
左足で生まれた主人公が左足を踏み出して終わるあのパターンのカタルシスはもう飽き飽きだよ、っていうのを読み終わった瞬間思う。あんなに分厚いページ数で人ひとりの人生を追いかけても、カメラが一つしかない弱さに打ちのめされた。逆に、あの本を読む長い時間はそういうことを受け止めるための時間なのだと思う。主人公的に“変身”を遂げた姉を前に、自分のカメラが一つだと実感してしまうあの瞬間が一番恐ろしかった。これがメタ的な本なんだって知らせるのは演出的な後始末に過ぎない。 

サラバ! (上)

サラバ! (上)

 

 8/7
赤羽で飲み始めたとき、店はまだ甲子園の第四試合が点いていた。新宿まで着いていったのに浮いた話もなく、スイカ味の氷結が無い新宿のコンビニ。

岩井秀人(ハイバイ)『ヒッキー・カンクーントルネード』
劇作家の物語感を節々に感じる。登場人物の設定の逆転とか変化を、役者が生で演じたらどれくらい興奮するのか想像しながら読んだ。 

ヒッキー・カンクーントルネード

ヒッキー・カンクーントルネード

 

・Klan Aileenが音源をサブスクから音源を撤収し、顔に作品をLP化するためのクラウドファンディングを開始。24時間で89%達成(80万円の目標額に対し、14日現在140万超え。残り45日)クラファン連載として、音源制作過程を振り返るYouTubeの更新を開始している。
小泉進次郎滝川クリステルが結婚を発表、をしたのが首相官邸での“ぶら下がり”といことで非難が集まる。空っぽそうな見た目の人間が年を重ねて、皺とか白髪とか喋り方だけでどれくらい見せかけの説得力を装備するのか、その変化をリアルタイムで追いかけることのできる最初の例かもしれないと楽しみにしている。

 

8/8
・ロンハーの品川回が面白すぎて、ベローチェで爆笑する。
TBSラジオ『たまむすび』ウルトラの瀧が逮捕されて以来、ずっと週替わりで放送してきた木曜パートナーがついに土屋礼央に決定した。先週の放送で今週のパートナーを予告しなかったことが様々な憶測を呼んでいた(主に復活の声)が、いきなりの新パートナー発表だった。長らくニッポン放送で『たまむすび』の裏番組を帯びで務めた土屋さんの抜擢になるわけだが、あの瀧さんの後釜を継いでくださるんだ、という姿勢のもと、新制たまむすびとして宣言する形になった。そして、いつもより早い曲紹介のタイミングで、選曲を務めたのが瀧であり、リスナーへメッセージを預かっていることを赤江さんが発表して読み上げた。「楽しかったよ」と瀧の無茶ぶりである猪木モノマネで最後に語り掛けた赤江さんの人柄にこっちまで泣きそうになってしまった。瀧逮捕、芝生フライデー、女優との結婚、吉本騒動と「ドラマチックプログラム」を自称する昼の帯ラジオ『たまむすび』が、ついに次の一歩を踏み出した。ちなみに、自分としては後継に東京03・飯塚悟志を期待していたが無理だったか。来週の大吉お休み回は飯塚さんらしいから、惜しかったのだろうきっと。

・花田菜々子『出会い系サイトで70人と実際に会ってその人に合いそうな本をすすめまくった1年間のこと』
ヴィレヴァンの店長として長く務めた花田さんが、退社や離婚について悩んだ時期に行った活動について振り返ったエッセイ。
花田さんが登録した出会い系サイト(作中は「X」と表記)は、男女交際の推奨がメインのサイトではない。Facebook連携による個人認証を経た登録者が、各々の待ち合わせ可能時間の投稿に反応を返すことでマッチし(性別問わず)30分お話しをする(延長は自由意志)というもの。花田さんの利用当時は、意見吸収や人脈拡大を目的にした起業家やフリーランスの利用者が多かったらしい。
だから、出会い系サイトと言っても、入会したての初心者に使い方をサポートする裏方気質の人や、自分の技術を披露したい人、オフィスに呼び出す人など様々な人との出会いがある。もちろん、うさん臭い身体目当ての男もいるが、プロフィール登録者の評判を教えあう村社会気質もあるなど、人と出会うと本質的な部分を楽しめるサイトに感じた。入会して発見したことを一つずつ吸収していく姿を通じて、読者も納得していくのだ。
Xで出会う人達との“わらしべ長者企画”に挑戦する若者と出会った話も紹介されていたが、花田さんの“お話をした後におすすめの一冊を紹介する”というバラエティ型のプロフィールもいい意味で目立ち、アプリ内人気ランキングで上位になっていく。

・初対面の人間と出会い続けることでコミュニケーション強者になるまで
・本をすすめるという行為を繰り返すうちに身に着けた技術
・すすめる、という上からの立場に対する疑問とその解決策
が、仕事への不満、退社の決意、就職活動という時間的な縦軸の下に語られる。本が好きだからこそ、雑貨だよりになっていくヴィレヴァンを離れる決意をし、自分の好きなものから自分の好きなことを発明する一貫性がまぶしかった。
不特定多数と出会い、会話をすることで、自分が本当に何をしたいのかということを俯瞰で認めることができた花田さんは現在「HMV&BOOKS HIBIYA COTTAGE」の店長を務めている。『本屋の新井』で知られる書店員・新井見枝香さんも働いている書店だ。

最後に。自分が一番感動したのは、赤の他人と話すことへの抵抗が無くなり、一対一の会話を有意義にできる自信をつけた花田さんが、心から惚れこむ書店の店長に会いに行ったところ。その店長はXの利用者ではない。サービスの枠組みで培った自信とスキルで、本当に会いたい人に会いに行ったのだ。(「出会い系サイトで会った人に合いそうな本をすすめまくっている」という名刺もあとからついてきたスキルだから)その出会いを「自分宛てのプレゼント」にしようと、訪ねる日にちを自分の誕生日にしてしまう程、“人に会うこと”を心から楽しむ姿に自分までワクワクしてしまった。
作品内に度々出てきた『深夜特急』は、“行きたい場所に行ってみる”勇気を与えてくれるバイブルだが、この本は“会いたい人に会いに行く”勇気と、心構えを与えてくれる側面も持っている。

・よしもと書面契約導入についての街頭インタビューに答える鈴木もぐら(空気階段)が「お金を借りるときも書面を書いたりするじゃないですか。だから書面というものに怖さがあります」という最高にボケたコメントを残していた。

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アメトーーク!“平子復活回”は、ぼちぼち。草薙が宮下に勝利宣言をしたのが印象的。
・ZA FEEDOが活動休止を発表。ラストライブは10月の自主企画「CAMP FIRE」

8/9
ミュウツーの逆襲』
幻のポケモン「ミュウ」のコピーとして人間に作られた最強のポケモンミュウツー」の物語。
「存在意義」というテーマについて、ポケモンとコピーポケモンが闘う映画だったよなあと思い出しながら改めて見てみたら、これが劇場版第一作だなんて信じられないくらい重いアニポケだった。脚本を務めた首藤剛志さんが書いた文章によって、脚本の含意に若干触れてしまったのだが、それ以上にこの映画が製作される時代状況の整理の方が印象的だった。

・ロンドンハーツ「品川に呼ばれま10」面白い。ゴッドタンのはんにゃ金田もよかった。「俺にとって鴻上尚史茂木健一郎くらいうさんくさい」という今週の問わず語りも面白かった。『みんなのかが屋』第二回はまだ見れていない。なんかこう、どうせ面白いっていうのには越えられない壁があるんじゃなかろうか。リアタイで見ろよって話だが。

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8/10
有楽町丸の内ピカデリーで『新聞記者』を見た。美味しく作られたものをチンして食べてばっかりだったせいか、こういうのが見たかったんだよってツボをイイ感じに押された。自殺のカメラワーク。田中哲司がはまり役。
ルミネのアナウンスが沢城みゆきだった。文章を読み終わるときの語尾の感じが一発で分かる。

 

8/11
帰省一日目。
・『全力!脱力タイムズ』傑作。結婚を番組に報告しないことを咎める形で始まった時は「最近のバラエティ特有のそういう押しつけがましさ嫌いだなあ」と思って見ていたのだけど、そこから“山里亮太が結婚していない時期から用意していた企画を消化する”という設定が明らかになったときに面白ってなる。最終的に番組が用意した結婚相手との婚姻届けを記入する際にも、蒼井優記入済みの離婚届まで出てくるからさすが。一番面白いいじり方だったと思う。
樋口毅宏『さらば雑司ヶ谷
好きなもの全部詰め込んだんですね、と興奮せず。

最近こんな感じ(7/29~8/4)

最近はほとんどスケジュールを確認していない。そんなに用事もないし、明日って何があんだっけ、何かあった気がする、ってなったときすげー困る。そんなノリで過ごしていくだろうから、過ぎたことをなんとなくメモしておいた。正直、この時はこんなことをしてたっていうことをクリアにしておくとか、もうそんなことどうでもいいくらいなんかやってたなって感じを求めているんだけど。そのとっかかりを多分8月中に作れる予感がしているのと、それのベースになることかもしれないから。4月ぶりか。


7/29
バイト。
7/30
バイト。
夜、バイト先の会社からメールが届く。今入っている現場は金髪NGとのことで、明日の分は大丈夫だけど、それ以降のエントリー分は別で調整する。そもそも、金髪は入れる現場が減るから覚悟しておけよ、と。予想はしていたけど、今の現場で結構な額を稼ぐつもりだったから少し焦る。でもまあ、したくてしたから仕方ない。現場でも「夏休みだから?」とよく聞かれたけど、それがウザい。就活が終わりそうなあたりからなんとなく、何かを変えたいと悶々とし始めていて、就活が終わって、でも、今更ブリーチするのもダサいしなあ、という気持ちで一ヶ月くらい。期末試験なんかが終わってもそれが収まらないから、じゃあってんでその場で美容院を予約した。髪の色を変えるくらいのことを我慢し続けるのが馬鹿らしかった。まあ結果したところで、思いのほか色は抜けたけど、テニス部みたいになって、このままは嫌だけど、これからどうするか考えるのもめんどくさい。あと、髪形の方がなんかこざっぱりして嫌だな、という感じ。入れるバイトの現場が減るのは少し深刻かもしれないけど、まあ、バイト中心で考えるのも阿保だろうし。にしても、メールのケツに書いてあった「お客さんやクライアントからクレームがくる恐れがあるので(現場減ります)」という文言は、もう、なんか、ダメだなあと思う。そんなの慣れ以外の何物でもないだろっていう。
超新塾アイクが数年前に何かのYouTubeチャンネルのインタビューで言っていたことを思い出した。「日本人はレイシストではない。ただ彼らは知らないだけなんだ。だから、俺がおはスタに出ていることには意義を感じていて、子供のころに見ていた番組に自分がいたことで、肌が黒い奴も普通にいると知ることができる。15年前は、白人は知ってるけど、黒人?みたいな。ポケモンか何かか?みたいな反応をしたと思う。レアポケモンか?みたいな」
俺の話とは違うけど、知らないとか、慣れていないことを嫌がる性質はもう捨てていかなきゃいけないと随分前から思っている。昔は刺青の有無で生業を識別できていたけど、今はその制度だけが残っているとか、もう少し考えろよっていう。海外の文化を近くに感じて、アーティストや役者に憧れた日本人が入れたタトゥーも、銭湯ではじかれる対象となるのは古いんじゃないか、みたいな。生まれながらにして金髪の人と、自らブリーチした金髪は違うという考え方もできるけど、欧米人でも毎日の化粧のように定期的なブリーチで容姿をメンテナンスし続ける人もいるわけで、その意図的な変身に対する識別ラインは見破れないからこそ曖昧にイエスと言っているだけでしょう。歌舞伎町でレジ打ちをしているV系バンドマンに対して、俺は怖いともふざけてるとも思わない。
ただ、逆にこの考え方は、タトゥーや服装が持つ本来の文化的な意味合いの全てを軽視して、“側”だけをファッションとして取り込もうとする不敬を許してしまうものだとも思う。誇るべき宗教や慣習や掟を日常に取り込むという行為が起源にあるものを、ただクールだとかトレンドだからという理由で無視して身に着けるのは、銭湯には入れるかもしれないけど、最初から丸裸でいるのと同じような気もする。
とにかく、「ダメなものはダメなんだ」という理屈抜きの主張は、人を傷つけること以外には無いような気がしていて、他の事は学ぼうとすれば歴史や科学からそれがなぜダメなのか分かることだろうし。それ以外のことは自分が慣れて許容していくしかない。自分の中にある、知らないから傷ついた、とか、傷ついたと言っていいのがトレンドなんだ、とかは、そもそも弱っちい主張だと切り捨てていきたい。不特定多数による理屈の曖昧な“傷ついた宣言”にめっぽう弱い世界には、教養と寛容でしか戦えないぞと、しかもそれは随時バージョンが更新されていくからこりゃ大変だぞ、と思った。慣れ親しんだものはずっと正しいわけじゃないから難しいと、サロンパスの“肌色”表記を見て改めて。腰が痛い、明日もバイト。
7/31
バイト。
8/1
バイト。地下(男性)アイドル。酒なんかなくてもチェキがあればそこそこに経済は回る。
8/2
アララ会議。
8/3
バイト。渋谷。
8/4
バイト。代官山。

Dr.ハインリッヒの単独のイメージがかっこいい。『座王笑い飯・西田面白いんだけど。ビクッとした。ハインリッヒ頑張れ。俺は好きだ。

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最近こんな感じ(4/29〜5/5)

4月29日
バイト。渋谷ストリーム周辺に屋外の喫煙所を作って欲しい。
昨日、一昨日と筆記試験があったから実質今日からゴールデンウィークで、就職活動はGWを境に前半戦後半戦と言うらしい。就活が終わってしまうのが怖い。まだ考えたくないことがたくさんある。

 

4月30日
ルパン三世 ルパン暗殺命令』と『ルパン三世 ワルサーP38』を見る。寝る前に必ず古畑任三郎を見る日村さんの気持ちがわかってくる。
令和は高田馬場の居酒屋で迎えた。平成最終日のテレビ特番は全く見なかった。

 

5月1日
16時まで寝て、家でダラダラしていた。スマホじゃないモノに手を延ばすことがこれほど億劫になっているとは。

『LUPIN THE ⅢRD 血煙の石川五右衛門』を見る。敵キャラが「鋼の錬金術師」に出てきそうであまり惹かれず。このスピンオフシリーズは銭形が強いから楽しめるし、もはやそれが最低条件になっている。

Netflixオリジナル『ラブ、デス&ロボット』を見進める。「グッドハンティング」がよかった。許されざる恋なのかと思いきや。西遊記的なアジアの田舎風景から出た主人公が働きだす町は「スチームボーイ」的な近未来で、化け狐×ロボのメカニックは空山基のセクシーロボットシリーズのような曲線のエロさ。アイアンマン路線のメカ感は『ULTRAMAN』でお腹いっぱいなのでよかった。全部夢みたいな作品でたまらない。吹き替え版を見たら主人公を小野大輔が担当していて驚いた。

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町屋良平の『1R1分34秒』と『青が破れる』を読む。ボクサーという生き物の性質とそこから逸脱しかける主人公、バディ物、物語のクライマックスの使い方。芥川賞を取った方はボクシング版『火花』だった。文化放送を聴きながら執筆したのかしら。(AM1134)『青が破れる』に収録された短編の「読書」がすごくよかった。偶然電車で隣に座った元恋人同士がそれに気づき、片方が目的地で降りるまでの短い話だけど、心情と身体の変化だけをこんなに細かく描写する文章を初めて読んだ。何のきっかけがなくても、内側のわずかな変化だけで日常が物語になることをにため息が出た。
文藝春秋に掲載された芥川賞選考委員会の選評を読むと、古市憲寿山田詠美にボッコボコにされていた。皮肉なタイトルを付けてしまったばかりに余計ボコボコだ、可哀そうに。高山羽根子の『居た場所』が気になる。

青が破れる (河出文庫)

青が破れる (河出文庫)

 

 
5月2日
バイト。さいたま新都心にはエヴァが戦うときに足場となるビルが地下に内蔵されているのだという妄想でやり過ごす。

小説新潮』の1月号にAマッソ加納が1ページ音楽についてのコラムを書いていた。幼いころ母の背中にしがみついた銭湯帰りの自転車で、背中越しに母が歌う井上陽水の「夢の中へ」が聴こえたという話。webちくまのコラムも含め、加納の文章は面白いんだけどエモいので供給されるのが毎回楽しみなのだ。ちなみに、ハライチ岩井は同誌でエッセイの連載を持っている。(ちなみに、これはBookBangのサイトでも見れる。(ちなみに、内容はハライチのターンで話したフリートークの書き起こしとなっている。))

ルパン三世 ファーストコンタクト』を見て『ラブ、デス&ロボット』を見進める。「ジーマ・ブルー」がよかった。今はまだ再現性や予測能力に留まるAIが、完全に独立した芸術性を持ち、表現に自己のルーツまでを追い求めたとしたらどこに行きつくかを予言する美しい話だった。AIを開発中のこの世界も、反乱なんて物騒な方向じゃないら綺麗な終焉を迎える方向に進んでほしい。一方、ROOMIE野田氏が「カルチャー顔」について謝罪していた。馬鹿馬鹿しい。

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空気階段の踊り場』家族三人、川の字で寝ていた実家に転がり込んだもぐらが、寝床を隅に追いやられて今は温泉マークみたいに四人で寝ている、という話が好き。

 

5月3日
久しぶりに家族で食事。昼からワインを飲んだせいで一日中ぽーっとしていた。

池袋のブックオフに寄るも、GWセールでごった返していたので三省堂へ。本屋の特売コーナー(?)にあった石田千の『屋上がえり』と菊池成孔監修の吾妻ひでお作品集を買う。買ってから気付いたけど、石田千の作品は自分にはあまりピンとこない。同じ失敗を過去にもしていて、来る時まで本棚に寝かせることにした。一方吾妻ひでおは最高。彼は「萌え」の元祖だと“吾妻ひでお原理主義者”を主張する成孔が力説していた。(『バクマン。』で七峰君にリサイクルされて「ぱんちらファイト」を描いた老齢漫画家の東さんというキャラは、吾妻ひでおから名前を取ったのではないか!小さすぎる発見)

ポスト非リア充時代のための吾妻ひでお Azuma Hideo Best Selection

ポスト非リア充時代のための吾妻ひでお Azuma Hideo Best Selection

 

 

『ラブ、デス&ロボット』を見終わる。「ブラインド・スポット」と「目撃者」が好きだった。「目撃者」は『スパイダーバース』のコンセプトディレクター、アルベルト・ミエルゴが参加ていて、主人公は満島ひかりが「ラビリンス」のPVで踊り歩いたようなアジアの街並みを逃げ回る。パンチの強い色彩と、サイケなキャラクター性のマッチング具合に興奮した。

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『神田松之丞 問わず語りの松之丞』松岡茉優のオチが完璧すぎる。フォルクスワーゲンの広告よりもワンピースの方がいい出来な気がした。西村曜という歌人が気になる。

 

5月4日
霜降り明星のANN0が面白い。世代が近いお笑い芸人のラジオってこんなに面白く感じるのか。「かいけつゾロリでもそんな下らんボケ出んわ」という言葉がラジオから流れるのがエグい。せいやギター侍のクオリティがすごすぎる。マジ歌でも二億四千万でも楽勝でウケるだろう。

 

5月5日
16時くらいに池袋から散歩した。ブックオフを見つけるまで解散できない縛りで歩いていたのにあっけなく大塚で見つけてしまい、宮崎夏次系の『変身のニュース』を買った。そこからもう一本ずつ買い足して、巣鴨まで歩いた。とんでもなく気持ちのいい天気で、巣鴨を選んだことを後悔してツレにあたってしまう。いや、書きながら思い出したけどあの時はもう夜だった気がする。こういうのなんとかならないものか。

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舞城王太郎の『淵の王』を読了。自分に与えられた運命や物語に気付いてしまう恐怖を感じた。そしてそのトリガーが“言葉”であるということも恐ろしい。守護霊というか光というか、主人公を見守る存在たちも元・主人公たちの人格だと思うけど、それもどうなんだろう。第一章で、小学生が下校中に光と闇の間に捕まるシーンの描写はこれ以上ないくらい綺麗で、絶望。

淵の王

淵の王

 

文學界』で千葉雅也が書いた「平成の身体」とNHKの『腐女子うっかりゲイに告る』が面白かった。