Laundry Land

いよいよ就活生。

『このマンガすごい!』がすごい!

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宝島社が毎年発行するムックとコラボした、昨年テレ東「ドラマ25」枠で放送された番組『このマンガがすごい!

週替わりのゲスト俳優自らが実写化したいマンガを選定し、ワンシーンを撮影するまでを追ったドキュメンタリードラマ。“テレ東らしさ”満載かつ、近年の「実写化問題」に対する別の視点が注目された点を考える。

 

1 カウンター

近年数多く公開される実写化作品は、原作ファンの動員を狙いすぎて、ファンによる評価が大きな指標になった。必然的に、役者に求められるのは再現度。髪の色、衣装の着こなしや話し方など、キャラ造形のクオリティが注目される以上、求められるのは芝居の中身よりも、キャラが“似合っているか”に尽きる。

一方『このマンガがすごい!』は俳優がどう演じるかのドキュメントだ。
俳優自身が作品を決定し、役作りのために独自のアプローチを行い、理想のテイクが取れるまで試行錯誤を重ねる姿が、番組の中心になる。
「実写化するキャラに寄せていくか」ではなく、「好きなものを演じるとしたら、どうアプローチして実写化するか」
現行の実写化プロセスとは逆だが、これが本来の形ではないかと考えさせられる。
作品に対するリスペクトが、クリアすべき基準として俳優自らを悩ませる。
「好き」に「挑戦」し「実験」する、役作りを行う俳優にカメラを向けた番組は見たことがない。単なる再現性の追求ではなく、演じることに対して真摯に向き合うと何が出来上がるか、という実験なのだ。商業的な視点を抜きにしたとき、俳優の持つ純粋な愛や意欲がどれほどのものかを知ることができる。

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蒼井優
しかし、そもそも俳優の役作りは、本来見せてはいけないウラ側のはずだ。俳優自身の考え方や役作りを晒し上げるという無粋な切り口でカメラを回すこの企画が成立している理由は1つ。蒼井優の存在だ。

彼女の、俳優に対する愛やリスペクトの“まなざし”によって、全て肯定されるのだ。

この番組唯一のレギュラーである彼女はナビゲーターと称され、
ゲストのマンガに対する想い・実写化作品の選出・役作り・撮影・鑑賞まで、随所でそれを見つめる。
『プロフェッショナル』や『情熱大陸』などの番組でこの企画はで成立しない。蒼井優がナレーション出演だったとしてもダメだ。俳優の挑戦を間近で見守り、リアクションをすることで、彼女のまなざしが視聴者まで伝わってくる。どの回も完成したVTRを眺める蒼井優の様子で終わるように、実写化そのものではなく、それに向き合う俳優の挑戦がメインにあることを、視聴者に意識させる存在なのだ。
彼女のそのまなざしの理由は、最終話(11,12話)で明かされる。これまでゲストの挑戦を見つめてきた彼女が、最後どのマンガを選び、どうアプローチするかを通し、番組のテーマともいえる「愛があるからこそ、実写化に自ら挑戦する」ことに、どう彼女が向き合ってきたかがわかる。

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3 パッケージ
ドキュメンタリードラマと謳うこの番組は、特に番組OP・EDがいい。
OPでは、アンジュルムの曲に合わせて蒼井優がワンシチュエーションでうろつく(?)毎週違うPV風の映像。Ear Podsを装着した現代性の演出が目立つ。(アンジュルムの起用は、ファンである蒼井優による指名であり、最終回では彼女がフリの完コピを披露している。本家PVも、番組OPで使用されたロケ地で撮影されるコラボがある)
EDも毎週違う。前野健太が、毎回のテーマや内容に合わせて新曲を書下ろしているのだ。
ノンフィクションの内容に、後からストーリーやテーマで枠組みを作ることで、ドラマ風にパッケージングする丁寧さが際立つ。

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満足のいく作品を作るためにはなにが大切か?
作り手のウラ側を見せることで、大切なことを届けてくれる番組だった。
完成した映像に、正解も評価もない。その理由は毎回OPの最初に歌われる。

「十人十色 好きなら問題ない!」

本を枕に冬眠しようとしたらエモくなった

ロロのいつ高を観に行ったのがもう1ヶ月も前になってしまった。師走ってすごい。あの日ロロを観に行ったために切った授業の出席がいよいよやばかったり、金がないのに楽しく酒を飲める場に逃げたいとばかり考えたり、自分のストロングポイントを300字にどうまとめるかばかり考えてたら師走も終わりそうになってる。師匠ゴールテープ寸前。

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どうでもいいことだけを喋っていたいと思っていたけど、違った。残念だけどもう無理なんだと思う。そういうことがしたいから、どうでもいいことを喋るためにどうでもいいことを喋っているんですよ僕は、という自意識が生まれてしまうくらいには俺たちは賢くなった気がする。どうでもいいことを本気でやってるから尊いんだと思う。それはもう無理。疑似体験をするために、俺たちは本や漫画を読む。


でもさ、やっぱり何か話したいじゃん。それが今だしさ。知らないけど、今らしさって今しか出ないらしいし。俺たちは多分、悲しかったり怒ってたりするとよく喋るけど、嬉しいとか楽しいとかの時は言葉いらなくなるじゃん。でもそこをちゃんと言葉にする人って素敵だなあと思いました最近。自分に確認させるために言っているのか、悲しかったり怒ってたりする人がたくさんいる夜への表明のために言っているのかは分からないけど。その行為を発明にすら感じた。むちゃくちゃいいじゃん。


もう番組も終わるけど、混迷の現代ってそういうこと?調子よくいきましょう。自由に。俺たちにはその権利がある、って。それなりに結構励まされていたんだけど。それはなんか、まだやっぱりラジオコンテンツ部門の第1位みたいなところがあったのかもしれない。生の言葉じゃなかったのかもしれない。少し悲しいけど。とにかく、調子よくいくことを目指そうと決めて色々やったけど、それの答えってまさかこんなところにあったのか?酔っ払ってるけど忘れたくねえなこれ、と思った、気がする。


楽しいとか美しいとかダサいとかの基準を余裕で飛び越えてくるのが、純粋ってやつなのかもしれんと思う。それぞれの尺度がぼんやりしているからこそ、真剣にどうでもいいことを話して興奮できた小学生から高校生までの時間は、多分不純ではないだろうから。あと、寛容。こいつバカバカしいこと言ってらあ、ってことを切り捨てる勿体無さたるや。自分の欲を満足させる可能性が透けた人や言葉なんかより、マジなバカバカしさの方をどう考えたって大切にしたい。


ロロ『本が枕じゃ冬眠できない』

衿沢世衣子『シンプル ノット ローファー』

lute『それでも告白するみどりちゃん』

津村記久子『ミュージック・ブレス・ユー‼︎』


最後の本が、いつ高図書館の本棚に入っていたのを見つけた。高校時代に読んだ本で一番好きだった本だと思う。創作の中の人で友達になりたいと思ったのはオケタニアザミしかいない。こいつは奇跡の人だと思った。

結局うちらも解散ってことか、ああでももう無理にアヴリル・ラヴィーンを聴かなくてもいいし、歌に入る時にさなえちゃんが俯いてまつげを伏せ、斜め下を見る、あの作り込んだリアクションを見なくてもいいんだなあ、と安堵の笑みが浮かんでしまう。

そんなお前は最高だぜって言いたい。あなたみたいになりたい人がたくさんいるはずだと伝えたい。

 

私たちに愛される 私たちのリアルな漫画は すでに両手に何かもってて 離したり掴んだりストーリー

本当の私なんかは なんにももっていないですから それは漫画や歌なんかを 掴んだり離したりするのです

解散ライブに行ったのを思い出した。そんなに傾倒していたわけでも聴いてきたわけでもないのに、解散ライブだけ行った。俺たち世代のバンドだったなんて意識したことなかったから、会場に同世代の、どちらかといえばキラキラした人たちがたくさんいて驚いたのを覚えてる。どちらかというと暗い曲を描く人だと思っていたから。彼らの新バンドの現場だった。俺ら世代の人はもう高校生じゃなくて、大人に差し掛かった人たちで。手をあげたり酒をたくさん飲んだりしてはしゃぐことなく、じっと聴いてさっと帰って行った。やってる音楽に世代が追いついてきたのかしら、なんて思いながら、ちゃんとは聴けなかったけどなんか好きだなと思った。


年末にハッピーなことってあるもんだな大賞。秋に見た『きみの鳥はうたえる』がすごい好きな映画で、これ俺じゃん、とか思っちゃうくらい、分かってしまう映画だったんだけど。それを俺は一人で見て一人ですごい興奮して、師走に入って。俺が今必死で300字にまとめようとしてる時間を共有した人たちに会った時、結構興奮しながら同じようなことを思ったと言っていて、なんかすげーよかった。調子よくいこうぜ。おれらにはその権利がある。

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2018/12/20 CRCK/LCKS

明日はインターンの面接が一つあって、明日の午前中提出のエントリーシートが一つあるから、準備をしなきゃいけないのはとてもよくわかっていて、やれと言われてることでもないから当然やるし、でもこれがずっと続くと思うともう屁が「へ」じゃなくて「も」なんじゃないかとか思って今電車に乗って帰るんですけど。やってらんねえよ俺将来どうなんだよ、将来というか俺は3ヶ月先のことくらいの感じでやってるけど、いやこればっかりはマジで将来の話だからウケる、って頭の中のビリギャルが喚いてるけど石川恋の言ってるその将来ってのが「しょうらい」なのか「いみみみ光線」なのか分からない後醍醐天皇。中学受験の地頭。粗品

CRCK/LCKSが今年も一位を叩き出して鏡の回転扉から出てきました。ベストヒット。中森明菜。なんかぁ、、伝説の、?アイドル?中森明菜、、さん、?からマイクもらって、、。設楽さん優勝おめでとう。髪型が似てるんじゃね。粗品

 

最高バンドクラクラ。初めてライブ見てから丸2年と何ヶ月だろう、ずっと一位。バナナマンさんを追い抜けるように頑張ります。いや、俺らも進んでるからね笑。これは設楽。

そんなことはどうでもよくて、このバンドがいるから生きていける、じゃないけど、このバンドがいる限りは俺は調子よくやっていけるんじゃん。っていうことを自分自身が忘れていたことに驚いたくらい久しぶりのライブで超楽しかった。もうそれはこのバンドがどれだけ売れようがデカいところでやろうが、それが全席指定の立ち上がるの禁止アリーナじゃない限りはなんでもよくて、バーカンがないのはダメだけど、要はフェスだろうがzeppだろうが、俺が普段バイトしてるようなキャパのところに俺が初めてチケット買って行くとしたらそれはもうクラクラであったくれれば最高。なくらいの、音楽の塊でライブの原体験なんだなと改めて思った。卒業論文はいいとして卒業文集なんてものがもし大学であるのなら俺はそれはクラクラに書く。ありがとう。あなたたちの一音一音、一言一言に愛を捧げる。

そしたらもう寺山も園子温も愛する。嘘。それはなんか嫌だ。

 

なんか久しぶりに一方的に前向きにしてもらえた出来事すぎて強烈にハッピーになれた。どんな人生になろうがもう絶対ハッピーで終わるじゃん勝ち確じゃん。病室でハミングしながら死ねるならもうそれでいいじゃん。9代目はその場しのぎ。粗品

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M-1を見て思ったこと

バガボンド』のオススメは26,27巻。宮本武蔵が吉岡一門70人をひたすら倒し続けるだけに丸二冊分費やしている。"一方その頃佐々木小次郎は" のような展開もなく、1対70の描写がとにかく延々と、武蔵が斬り続ける。これが超面白くて、バガボンドはこの二冊だけ持ってる。登場人物とか話とか全く関係ない。

その中で、70人が待ち構えた広場にたった一人現れた武蔵。怪物じみた強さで次々と吉岡一門を切り捨てていく様子を前に、一門の一人がこう言う。

「兄者...ワシらはどこか覚悟が足りなかったんやないのか...?数の利に心がどこか寄りかかっておったんやないのか...?現にワシなどは今朝...(食べた餅の余りを)家に帰ったら雑煮に入れて食おうと思ってとっといた。今朝ここでワシまで死ぬとは思うてなかった。勝敗はワシらに関係のないところで早々に決すると...一人でここに来たあいつの覚悟に比べて恥ずかしい。・・・兄者。肚を決めたっ!故郷の父さん母さんを頼みます!」

そう残して武蔵に斬りかかったそいつも、無惨に殺される。

 

霜降り明星せいや「僕、大阪の家で、明日食べるように鍋作っといたんですけど。あれ食べられないんですね」

陣内・久保田「食えるか!しばらくホテル泊まりや!」

勝ってしまえばなんとでも言える。1対4640の王者は、大阪の鍋を腐らせながら東京を飛び回る。

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敗者復活戦、決勝戦GYAO!、ストゼロチャンネル。今年のM-1はずっと見てしまった。金属バットが準決勝に進んだあたりからワクワクしてきて、三回戦・準決勝のネタもたくさん見れた。面白かった。こんなに夢中になるつもりもなかったのに。

今週は、色んなラジオだアベマだも巡回してしまう。アベマのザナイトなんて久しぶりに見た。ただ、アフタートークの部類はこっちにしたらやっぱり見たいから嬉しいけど、当日の打ち上げまでの二番組がいかに酷なのか「くぼたけちジョーカー反逆事件」である程度察する。

 

M-1の次の日のタイムラインを見て思う。これだけ感情と文脈が剥き出しの素材があると、それをそのまま引用してキャプションをつけただけのツイートが数万リツイートになって吹き出してくるんだなあと。どこを切り抜くかのセンス?そんなんもあるかもしれないけど、全部見た人なら誰でもできるくらいこのお祭りはそれの塊だったぞ。録画時代からSNSネットニュース時代、もはや見なくてもいいんだってさ。見なくても、見たという体験を味わえるなんて。まさにこれだ。

 

 

そんな、見なくてもいい時代。今年のM-1の視聴率が発表された。おろ?年々上昇してるらしいぞ。キャンドルジュン。大丈夫おもろい。

Tverやオンデマンドコンテンツなどの後追い視聴体制が整うなかで、逆に生放送の番組の注目度は増していく流れにあるらしい。後から見る、もはや見なくても見た気になれる。そんな都合のいいネットやSNSを使いこなせる現代人が、"自分が見る"ということに価値を置いて「ネタバレされたくないから電波を遮断した」なんて真逆の不便性さえを求める生放送の価値って何ぞや。焦げランブルエッグや。こんなキャンドルはジュンだ?は?

(連想してしまうのは、100期連続聴取率一位を達成しているTBSラジオが昨日、今後スペシャルウィーク辞めます宣言をしたことだけど。まあこれはまだよくわからん。月曜の伊集院が楽しみ)

アメリカの「スーパーボウル中継」は、スマホ元年と言われる2010年以降、それまでの40%台前半の視聴率から一気に40%台後半へとハネ上がり、以後もずっとその状態をキープしている。要は、スーパーボウルの中継を見ながらSNSにアクセスすると、皆が自分と同じ思いでいることが確認できたんですね。そんな“同時体験”の快感に視聴者が目覚めたのだ。

ふーん。だってよ。

 

スーパーボウルといえば、ハーフタイムショーがねえ。マルーン5が渦中にいるらしいけども。

http://fnmnl.tv/2018/11/18/62538

まあそんなことはよくて、今週のアメリカの「マンデーナイトフットボール」のハーフタイムですよ。『キャプテンマーベル』の最新予告映像が解禁しましたね。きたきたこれ、おい。

おい。

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おい。

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お前激似じゃねえか!倒せ倒せサノス倒せオルァ!!

 

 

 

エンドロール帰宅

社会ってやつは意地悪らしくて、また一番後輩からスタートするらしい。これからが人生だなんて全く意地が悪い。自由に行きましょう、それがどんなに難しくても。ちゃんとまじめに。CMです。

ありがとうN/K。池袋から歩き始めた時刻は1時。新歓が始まるのかってくらいの湿度と気温に晒されてこれから1時間、一切のドラマもジョークもない、ただ終電を逃したがための移動の1時間。お送りもお届けもお見送りもない師走も三日目。クラウチングスタートを決めた師匠が慌てふためいて深夜にしては明るすぎるぜ東京は夜の一時。

ポップクイーンもドラァグクイーンも目覚めるには早すぎる、変な湿度と気温と書き直しなんて一切しない酔いが覚めるだけの移動の時間、しかも徒歩。しかも徒歩。粗品

***

二度目の引退をした、らしい。いつも通りすぎると逆にいつでも戻れるように感じる。組織にいた時間は、後輩をどれだけ身近に感じたかで逆算できる。はて面妖な。昨日主役だった後輩が、今日役職についていた。童話の始まりのように収まりがいい。東海道中膝栗毛。やったことのないことは分からない、それを認めるのが一歩目だとしたらこっちのハンバーグ師匠はさっきも言った通りクラウチングスタートを切ったもんで全く分からない。じゅう〜。自由に行きましょう。それがどんなに難しくても。

***

ありがとうN/K。堂々巡りのようだけど、着実に家に近づいてる感覚はあるよ。

それにしても、昨日は良かった。一年半以上前に自分はここで、なんていうドラマチックな感慨は無理矢理出そうとしても違和感を感じてしまうくらいの自意識で、懐かしさの演出にも感じる匂いをかいでそこにいた。ただそこにいただけだったけど楽しかった。M-1の次の日に見る対バンイベントは変な目線になって邪魔だった。アナザースカイはどこですかと訊かれても下北沢なんて絶対出てこない程度の安心を感じながら、なんか世界変えちゃいそうって真面目にふざけてる、なんて聞いていた。新曲だったらしい。

***

聞いてもないのに楽しそうに話してくるやつはどちらかというと苦手だけど。求めてもないのに偉そうに話しかける先輩であったかもしれないと思うとどうしようもない。ただ家に向かって歩くしかない。

自分はこれをこうしたくてこうがんばっただなんて、一番言うだけ野暮だと思っていたことをシュウカツってやつはズケズケと。書くのがめんどくさい、振り返っても何もない、そんなことじゃない。今までのやり方と真っ向勝負を仕掛けてくるエントリーシート。なんとかシートってもうレジャーシートくらいしか知らないんだけど、あれってもっとワクワクするものだったような。でも仕方がない、俺はそいつと三年間付き合ってきてないから。30秒で審査するなら俺のそういう野暮ったいことはなんか嫌だと思ってきた粋な夜電波なんて粋なのかも分からない番組のリスナーとして自分をハッシュタグ五つにまとめましょう。ギャルの姉ちゃんなんか褒めてくれなはれ。

***

褒める、のはおこがましい。熱量を感じた。考えれば考えるほど時間は味方になる。二周できる知らない可能性に俺ならかける。羨ましいと思ったことは一度もないけど、もしかしたら羨ましいと思うのかもしれない。それは期待ではなくて自然な思いつきだけど、自分一人で調子良ければそれでいいと言い続けるほどのスポコンではなかったから。そろそろなんか欲しい潮時かもしれないエンドロール。

***

年貢の納め時という死語。エンジョイミュージッククラブという気候。死人に梔子、タトゥーありのR-指定。

聞かれてもないのに、俺はこれがこうでこうしたいと話す人が好きだ。そうなれないから。なれたとしても後ろめたさを感じる作りに改造されたわけでもないのに面倒くさい。かっこいいじゃねえか。

これで引退。制作期間数年。大型ノミネートなし。それでいいじゃん、褒めて欲しいわけでもない。手元に何か残ればいいだなんて考えたら終電逃して歩いてない。後輩が可愛いなんてずるい言葉だ。お年玉くれない親戚のじじいと同じだ。楽しかった。それでいいわ、どうせ一番後輩からまた始まるんだから。クソが。

トイレに行きたい。きっかり1時間。そろそろ家。おやすみなさい。

アンコールに感じる僅かな寒さ

坂元裕二がプロフェッショナルで話した

「物語はこの人たち(登場人物)の都合だから。作者の都合が入るとそれは嘘になる」

フィクションなのに嘘って?という質問に対する答えだ。

この人の都合のようで、この人の都合じゃない。ということは多々あるように思う。

 

ライブにおけるアンコール問題。

アンコールが誰の都合であるのか。"そっち側" である人がこの問題を発信したことでいうと、西川貴教が少し話題になった。

アンコール。あれ、なんなんだろう。


***


最近「俺たちがダブルアンコールもらえるバンドになるとは」というMCを聞いた。

いや、それは客電あげない限り客は察するでしょう。お前らのワンマンだぜ?と思った。

あ、照明がつかないからアンコールがあるんだ。の暗黙の了解はどこか嘘に感じる。様式美でしかない。

もちろん、ワンマンライブは大抵アンコールまでが1つの流れであることは分かっている。ツアーTシャツなんかで衣装を変えてきたり、物販紹介、レコーディング話、メンバー紹介、MC等、一度仕切り直して最後にありがとうと伝えるまでの1つの流れ。

今はもうワンマンのアンコールはオマケやプラスαではない。


だけど、ダブルアンコール。あれは何だろう。

足元のセットリストが見えたとき、事前にダブルアンコールが表記されていると冷める。

客電が上がらない限り、客はアンコールがあると分かる。ワンマンで、客電が上がらない状態で客が帰り始めることはほぼほぼない。

みんなハッピーになるんだから、そんな野暮ったらしいことを。とは思うけど、客電をあげないダブルアンコールはやっぱりリアル感じない。

そして、お約束だからサ。は一回までじゃないか。ダブルアンコールを、ハナからセットリストに組み込んで、客電を上げないのは、むしろ寒くないか。


もちろん、客電が上がってもアンコールの声が続くことはよくある。照明の演出なんか関係なしに、フロアは本気でアーティストにもう一曲やってくれと求めている。(客席全体が、というよりは前方の盛り上がった層だけ、というのが実際多いが。)

想定外のそれに、答える場合も答えない場合もあるけど、(やらない場合のほとんどは、小屋のレンタル時間とかの問題だと思っている)


"アンコール待ち状態" からのアンコールと "まだ帰りたくないからもう一度出てこい" からのアンコール。

どちらが盛り上がるかと言えば、それは断然後者の方だ。

客電が上がってもアンコールが止まらず、セットリストにもない。そんな状態でトリプルアンコールに応えたバンドのワンマンが最近あった。かっこよかったし、フロアの沸き方はすごかった。

ナンバーガールの解散ライブは今日はアンコールなしです。と向井秀徳が言った。

大森靖子も"音楽は魔法じゃない"と絶叫して、こんなにパンチのある最高の本編終わり、アンコールやるのか?どんな感じで始めるのか?とドキドキしたけどやっぱりアンコールはやらなかった。本編だけで勝負をつけに行くというのは、カッコいいものだと感じるけどどうなんだろう。


***


対バン形式のライブハウス企画は、アンコールがないなんてザラだから、アンコールが起こるか起こらないかで客電をあげるかあげまいかを照明さんも見計らっている感じがする。

フロアとの距離も近い分残酷だとも思うけど、客がアーティストを引っ張り出すという意味では、分かりやすくて好きだ。


一回だけ、強烈な体験をした。

渋谷のキャパ100くらいのライブハウスの対バンイベントで、2組目のアーティストにアンコールが起こったのだ。多くのお目当はトリの演者だろうに、2組目のライブがとにかく盛り上がった結果そうなった。

高校1年生の、まだライブハウスに緊張するくらいの時にそんな大人たちを見た。フロアの熱量で演者はステージに帰ってくる。そのリアルに興奮したし、少し照れながら嬉しそうにもう一曲だけやった演者は余計輝いて見えた。

だからか、ワンマンとはいえお約束気味のアンコールにいつも少しだけ違和感を感じる。

ENCORE

ENCORE

 

タラタラタラタラ

『A子さんの恋人』一巻の1ページ

A子が半紙に向き合うシーンから始まる。

さて、と正座をして筆を取るのだが

タラ、と髪の毛が垂れ。タラ、と筆から墨汁が垂れ。タラ、と半紙を持ち上げた文字からも垂れる。

本筋ではないところの暗喩がとにかく上手い近藤聡乃の技が冒頭から溢れ出ている。

 

***

 

さて、とエントリーシートの課題と向き合う。髪の毛は切ってある。墨汁じゃなくてキーボードの入力だ。

タラ。

なに?

タラ、タラ。

なんだなんだ?

タラ、タラ、タラ

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(タラタラしてんじゃねーよ)

 

***


紫の髪に緑のバンダナ。1962年発売だから56歳、甲本ヒロトの一個上。

「お前、音楽で飯食えたんだな。よかったな。自分のやりたいことで食っていけるっていいよな、羨ましいよ。最近の若者は音楽を聴かないから、テレビを見ないから、車も持たないし結婚もしないし、タバコも博打もやらないから。そんな言い訳ばかりが浮かぶのが情けないよ。

でもさ。

あいみょん、分かるか?君はロックなんか聴かない って曲書いてさ、売れてんだよ。今年紅白も出る。あと、スプラトゥーン、知ってるか?お前が端に追いやったイカだよ。今小学生がそいつらに夢中だよ。タラちゃん?ああ、もちろん。まだ日曜にみんな見てる。あいつもまだガキのままさ。

お前も、ガキみたいにキラキラした目でギター抱えて歌ってたよな。変わってないよ。俺なんてほら、濁っちまった。毎日ネクタイ締めてさ、ビクビクしてるよ。

みんなそうさ。何も失ってないのに、何かを取り戻そうとしてる。

デカイ会社に入って、偉くなってして金稼いで、結婚して家建ててガキ作ってさ。そんな当たり前がいつのまにか"当たり"になっちまった。誰もが自分の当たりの可能性にワクワクしてたけどさ、この歳になると嫌でも結果が分かっちまう。当たりかはずれか、答えが出てからも人生っていうのは長いなあ。それなのに。お前はまだ、56歳になっても、人生の"当たり"か"はずれ"かなんて開けてみなきゃわからねえって言うだろう?当たりもはずれも自分次第で、人と比べるもんじゃねえって。その通りだよな、、未来を持ち続けているうちは人って強いよ。

・・・ごめんな。また俺ばかり喋っちまった。

おう、お前も元気にやれよ。

じゃ」

 

***

 

じゃ。じゃねえよ。

何やんってんだ早くエントリーシート書けよ。

 

まあ。さて、駄菓子とお湯割で延々と飲む季節がやってきたよ!

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***