Laundry Land

いよいよ就活生。

youth

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人の名前を、活字で、ネットの記事になって、見ることの冷たさを、こんなに忘れられないことはない

自分が6年過ごした学校について、
浪人して、他の環境から来た同世代と過ごしたとしても、過ごしたからこそ、考える

あの学校で過ごした俺の、熱量と苦悩と、答えは、間違いなく今の自分の基盤で。
価値観、思想、哲学、とかなんとか全部その上にあって。



自分の原体験の全てが詰まっているあの場所は、一緒に同じ時間を過ごした同世代連中がいたから意味があった。
どんなに接点のなかった人でも、体の中を同じ文化が流れてる安心感に包まれた学校生活だった。
それに気付けてからは本当に幸せだった。
同じ文化が流れているなら、友人、知人という名前の関係性でも、もう、母体のでかい家族みたいなもので、多少その関係に濃い薄いはあっても誰とでも付き合えるくらいの安心感があった。


その実感は、とりあえず自分が新しい何かを積み立てるまでは続いていくもの、甘えていいものだと思っていた。
もう出来上がったものなんだから、無くなるなんて疑ってもなかった。




卒業してから1年、生まれてから20年
この世代で一列に並んだ時、それぞれ自分のための人生を積み立てていく上で、何か特別な力が俺たちにはあると感じたことはなかったか。
いつか過去を振り返った時、「何か」が「始まった」のはあの時間だったと気づける、そんな日常を俺たちは謳歌した上で一度散ったんじゃなかったのか。
卒業した時、そのくらいの自負は持っていなかったか。

まだ始まりに立ったばかりじゃないのか。



あまりにも未熟で、そんな思い上がったことばかり考えている俺でも、あの時間に対する気持ちに嘘はない、というより、どうしようもなくなったらまず真っ先にすがりつけるものなんて家族の他にそれしかない。


あの日初めてみんなが何を考えているのか確認したくなった。人の底はやっぱりあるのかもしれない。俺はそれがどうしようもなく怖い。今更どうしようもないけど気になって仕方ない。

もし俺が死んだら、十分に生きれないで死んだら、出棺の時はみんなが見送ってくれたら嬉しいなと思った。