Laundry Land

あれこれ

斯々然々(12/13〜14)

「A子さんの恋人」の続きが読みたくて仕方ないけど、池袋のジュンク堂には二巻までしか置いてなかった。

 

 3,4巻を買いに行こうかなあ。
寒いなあ、マフラー無いの寒いなあ。

 

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喫茶伯剌西爾に来ました。
神保町で買えない新刊コミックスなんてないのだ。本当は昼にラドリオでちょっと辛いナポリタンを食べたかったんだけど満席だった。最近ラドリオも入れる確率が五分くらいになっているのが悲しい。
ガテマラが運ばれて来た。
伯剌西爾のメニューには、種類ごとの苦い、酸っぱいの度合いが表記してあってどれにしようか考えるのが楽しい。前回頼んだ神田ブレンドは完璧で、メニューの「濃くて苦くて甘い」の言葉通りだった。苦くて甘いコーヒーが一番おいしい。りんご音楽祭から帰る日に入った松本市内の喫茶店アベもおいしかった。レシートの裏の「悪魔のように黒く、天使のように優しく、恋のように甘い。珈琲のひとときを」という文句は少しクサかたけど、そういうことなのかなあ。暖かいからなんでもいいや。

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もう少しで年末になる。もう師走に入っている。最近は24時間営業を廃止するチェーン店が増えてきたけど、それでも便利すぎる生活に慣れきった自分は、年末年始の街自体がひっそりと停止する風景になじみがない。ただここ神保町はそういう街だ。ラドリオもさぼうるも再来週には休業しているだろうし、古本街もそうだろう。
ラドリオのトイレに貼ってある、“ラドリオ瓦版”という月一更新の壁新聞に、最近この街にドン・キホーテができたことが書いてあった。「老舗の書店、喫茶が並ぶ神保町の大型ドラッグストアに皆さんは異物感を感じるかもしれないけど、自分たちのような飲食店を経営している立場からすると、急に何かが必要となった時に買いに行ける何でも屋さんは重宝するからありがたいのだ」と。確かに自分は、目にうるさい広告や、派手な装いすら無力化される人混みを避けるためにここに来る。温かさが隠れている路地や裏道がこの街の魅力だけど、街がしっかりと動くためには充分な供給源が必要なのかと気づく。人の温度や文化が根付く場所が、利便性と効率性に食い荒らされなければそれでいい。何事もバランスだ。
やらなくてはいけないこと、やりたくないことから遠ざかりたいとき自分は神保町に来るけど、池袋、新宿、渋谷にもよく行く。五感にうるさい都市感も、逃げ込むにはまた適しているのだ。自分が何を抱えていようが、そんなもの何でもない、自分自身が何者でもないと思わされるほどの人の数。木の葉が隠れるなら、やっぱり森だと思う。
ただ最近は、都市感のスキマ部分すらものすごい速さで排除されている。高校の頃によく友達と溜まった宮下公園も今は工事用の白いパネルに囲まれている。二階堂ふみコムアイがワンカットで渋谷を走るあの作品がもしかしたら宮下公園という異物感を映した最後の映像かもしれない。
2020年をめどに始まった渋谷の再開発も半分が経過した。工事用のライトが光る建設中の高層建築ビルに見下ろされるこの街と人は、いつまでも停止する気配がない。

 

2020に向けて動いているのだろうが、別に最先端がいいものだとは思わない。
というよりも、全く新しいものなどここ最近生まれていないんじゃないか。iPhoneだって従来の技術を一つの端末に組み込んだことがすごいわけで、今の時代は広い選択肢の中から何と何を組み合わせるかというセンスと技術が新しい感覚として評価されているだけだ。
カルチャーとやらもきっと、今までの歴史を踏まえたうえで何を作るか、という過程が重視されているんじゃないか。

一昨日ライブを見に行った帰りに高校の同期と久しぶりに話した。
音楽に傾倒しているわけではなかったけど、PUNPEEの新譜は聴いていた。今年一番の衝撃はやっぱりあれか。去年の宇多田ヒカルのPhantomみたいなものか。宇多田と言えば最近、小沢健二と一緒にAppleMusicで配信が開始された。小沢健二も、満島ひかりとの共演、峯田とのゲリラライブと話題に事欠かなかった。

「いったい今は西暦何年なんだ」みたいな投稿をTwitterでよく見る年だったけど、同じ新木場のライブハウスで今月はSuchmos、来月はコーネリアス、という具合でバイトした自分にとって今は普通に2017年だし、服が好きな大学の友人はsupreme×アキラのパーカーを来ている。彼はアキラを読んだことはあるのだろうか。引っ越し祝いにアキラ全巻を送った友人はラッパーになった。新しいものを作ることより、新しい感覚を共有する存在が評価される世の中になっていくなら、そいつは嘘をつかないやつだからきっと何かしらの中心になるんじゃないかと思っている。

youtu.be

 

再開発とは別の流れなのかもしれないけど、渋谷のパルコも再建築中だ。
当時はまだなにもなかった渋谷にできた百貨店は、文化の中心として大きな役割を担った。劇場公演や展示会も充実させて、時代の流行の発信源だった。「綺麗になりたい、いいものを手に入れたいというお客様には是非、その入り口をご自身の手で開いてもらおうと、パルコの扉は自動扉にしなかったんです。」とお偉い方さんがインタビューで喋っているのを見た。パルコのあの白い建物は、坂の上にあるシンデレラ城として、お姫様になりたい女性のお帰りをいつも待っていたということらしい。なんとロマンチックな話か。
鵜呑みにするには怪しいが、百貨店はそういうものだ。
江戸時代の呉服屋がその形態を変えていったもの(三越高島屋伊勢丹など)と、鉄道会社が駅ビルを充実させるものとして作ったもの(東急など)とで成り立ちは違うのだが、呉服屋から派生した百貨店は、武士を相手に商売していた頃からの流れが今なお残っている。「高品質なものを定価で、お客様の生活を豊かにするものを販売する」この姿勢で信頼を勝ち取って生き残ってきた。関東大震災や昭和恐慌を経て、当初のブルジョワ専用の高級商店から大衆化を図り、人々の生活に根を下ろすことでやがて、百貨店は都市発展に直結する存在となる。品質とサービスを保ち続けたからこそ、利便性、効率性に飲まれていないのだ。

 

百貨店とは

百貨店とは

 

 


椎名林檎&トータス松本、デュエットで銀座を歌う  「GINZA SIX」スペシャルムービー「メインストリート」篇

 

昨日「百貨店の環境対応について」というレポートを書いたのだ。
文化の発信源、都市生活の中心存在として百貨店を考えたら面白いと思ったから、ちゃんと調べようと意気込んで本も買った。だけど結局提出した2000字のレポートは、パソコンを開いてから一時間半、まともに推敲もしていない文章だった。
その日、いつもの喫茶店で馴染みのメンツが集まっているからと、図書館に向かうがてらいったんそこに寄ったところまではよかった。そのなかの一人がこれから行くライブに自分もついていく、という誘いを了承したことが間違いだったようだ。開演に間に合わせる電車ギリギリまでの一時間半、メモした言葉と文章をひたすら写し、結局いつも通りの急ごしらえすぎる原稿を出して渋谷に向かった。

この時はまだマフラーを首に巻いていた。

 

そして渋谷。パルコ再建中の工事フェンスにはアキラのイラストが並んでいた。
それを横目に坂道を急いだ。寒かった。
五感にうるさい都市感も、
それぞれがそれぞれの理由で逃げ込んできた大量の人間も、
街路樹に巻きつけられた青い電飾も、とにかく寒かった。

冷凍都市は冬だった。帰り道、マフラーはなかった。

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二杯目に頼んだ神田ブレンドが運ばれてくる。
昨日書いたレポートよりも時間をかけてなにをやっているんだろう。
せっかく買った「A子さんの恋人」は読まずに目の前に置きっぱなしだ。

まあでも、マフラーはA子さんに貸してるし、もう少しここに居座らせてもらおう。