Laundry Land

巡り巡ってあれこれ

深夜の私からッ!

今週、気づいたコト。


どうしようもない知り合い・友達というのがいくらでもいます。そんな奴ばかりなんで多分自分もそうなんですけど。
「最近大学楽しいの?」
「いや、つまんないよ。」
「なんでだと思う?」
「いや、面白くないから。」
みたいな話をしてたんです。
それで、あ、そういや「楽しい」と「面白い」って違ったな、って。「一緒にいて楽しいやつ」と「面白いやつ」って違いますよね。
だけどさあ、これから先ずっと「楽しい=面白い」だけの尺度で戦うのは結構キツいぜ。

面白いやつってそもそも少ないし、面白いやつがずっと面白い訳でもないし、つまらないやつばっかだな、しょーもない、という気持ちを持ち続けると窮屈。
中学・高校の時が1番楽しかったって人多いと思うんですけど、それは当たり前の話で。中学生なんてちょっと賢い猿くらいなもんで、そこから少しずつ社会に混ぜてもらえるギリギリの人間に育つ期間、ずっと一緒にいた奴らとは自分の真ん中にあるものを共有してると思うんです。そりゃ同じ感覚でどこまでもいけるから面白いこともできるさ。


自分も「面白い=楽しい」の方に傾いた中高時代を過ごしたんだと思いますけど。自分の中の「面白い」という感覚、そしてそれが絶対であるという感覚。これが全人類に共有されていないんだと分かってから、考え方も変わりました。猿も学んだんです。
具体的に言うと「最高!」って言葉を乱用するようになった頃なんですけど。ハードルをすり替えた感があったような。(そもそもはすぐ「最高じゃん」って言う奴を全く信用してなかったというか、面白くないやつとすら思っていたけど。「最高!」っていうだけで場がなんか楽しいカンジになるから、、最高って最高ですよね!!はい、すみません。でも「これは絶対に見た・聴いた方がいいよ」ってやたら言ってくるやつは未だになんか信用できないです。うるせえよが勝つ、っていうか)

まあいいや、
「面白」を振り回せるほど自分が面白くないんなら、みんなと楽しいを共有できる方が楽しいじゃん、って話です。馬鹿らしい話ですけど馬鹿なりにそう考えました。

ただこの「面白」という物差しは、未だに自分の持ってる道具の中では1番デカいし、信用しているから、やっぱりそれを使いがち。その分他の、「真面目」「努力」みたいな物差しは超短い。2センチとかしかない。
でも、20年も生きれば人の感覚とか価値観とかは変わらないと思うので、お互いの物差しを押し付け合うのは野暮です。一通りの物差しを持っているフリをしましょう、それで十分です。

さて、じゃあお前のその「面白い」ってどんな感覚なんだ、と。お前、なんか自分が特別な価値観持ってるぶるのやめろよ、と。
まあそう言わず。そうは思わないけど、大学で面白い人に巡り合えず、友達もできず、周りを下らねえと一蹴することでなんとか気を保って深夜にアルピーのラジオをつけてネタを投稿する人間の気持ちは分かるのか、と。デカすぎる「面白」の物差しというか十字架を背負って生き抜いている化物の気持ちが分かるのか、と。俺には分からないけども。そういう方もいますから。

 

明るい夜に出かけて

明るい夜に出かけて

 

 

僕は「面白」の根っこには、「フィクションの面白」と「ノンフィクションの面白」があると思います。
テレビ・ラジオ・小説とか、見せるために作られたものはすべて、「フィクションの面白。」
1番単純なものだと、「何かふざけたことを言った人の頭を叩いて注意する」という行為。
漫才のツッコミに、ひどい・可哀想って思う人はフィクションとノンフィクションがごっちゃになってしまっているか、単純にその出し物を楽しむのが向いていないんです。ほかに向いてるものを探せばいいだけだと思います。

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(めちゃイケが特番のラストにこれをくっつけたのはすごいと思う。ここまでしゃきゃダメなのか。)
そして、人が現実の生活で出くわすのが「ノンフィクションの面白」。
クラスにいた変なことするやつ、派手なおばちゃん、ハゲたおっさん、飲み会で一気するやつもこっちでしょう。テレビでも、面白動画投稿・衝撃映像系はこっち。
そして、これは、作られたものじゃ無いから、面白いと思われる側が傷つく可能性があるから、難しい。
「何かふざけたことを言った人の頭を叩いて注意する」という技術も、加害者と被害者という見方ができてしまう。ただ暴力的なニュアンスだけを抜き取った再現になると、それはひどい・可哀想という感想が当てはまってしまう。何よりそれは面白くなくなる。

最低限にこの区別ができれば面白いものを楽しめるんだと思ってます。当たり前のことです。
ただ、見世物・ガチの境界がぐちゃぐちゃになってくるから「面白い」が難しい。
見世物をガチに見せた方がより面白くなるし、ガチが見世物を意識するだけでより面白くなるから余計難しい。
当然、見る側もその基準がぐちゃぐちゃになりやすい。「面白」の物差しが短かったり、「常識」「正義」みたいに別の物差しがデカかったりするとなおさら。
見世物の「面白」は評価するな、ただ笑ってればいい、と言うのが難しいのは分かってます。お笑い・ネタの分野は、賞レース系を通して、視聴者の比較・批評する目が肥え過ぎたし、IPPONグランプリなんてもうみんな松本の目線で回答を審査してる。
「面白い」を「面白」で測って比較・批評するのは自然だからいいんですけどね。

だけど、最初から「面白い」を「常識」や「正義」の物差しで評価・批評する気満々で、意気揚々とまな板やら包丁やらを用意して、新鮮な話題が出てきたら待ってましたとばかりに切って、混ぜて、自分の思い込みまで添えて。批評クッキングを始めるのはやめろ。
誰もお前の料理を待ってねえよと。勝手に振舞ってくんなと。無責任に捌くなと。パセリの味が1番濃いぞと。素材を楽しめ馬鹿。僕はそう思います。新年早々自分のTLを見てそう思いました。

年末の番組で話題になったのがあるでしょう。あれは毎年見ていないので、その場の流れを知らないからなんとも言えないんですが、短い物差し(包丁)を振り回して嬉々として切りつけてくる輩にはうんざりしました。

何も知らないで偉そうなことばっか言うやつほど、食べログの星ばっか気にして飯を食いに行くんだろうな、もっと大事にするべき感覚があるはずなのに。

 

・・とまあ、新年一発目から面白くもない阿呆らしいことを言ってますが。楽しい一年になりますように、今年もよろしくお願い致します。

月曜JUNK 伊ッ集院光!深夜の馬鹿力!!
(無理か!!笑)

 


俺の持論 伊集院光「日本人総マリオネット論」