『書を捨てよ町へ出よう』
野田秀樹が『エッグ』のパンフレットに、
「台本を見ていたら、自分のものじゃない言葉を見つけた。どこから来た言葉なのかわからないままだ」というようなことを書いていた。寺山修司の未完成作品を発見するところから始まるこの芝居は、彼の本を読み進めるように進行する。
自分が寺山修司を知ったのはこの時だった。説明できないことは割愛する。分かりやすいブログを見つけた。
自分の言葉じゃない、どこから来た言葉だったか思い出せない。そんな感覚がある。
記憶と風景の関係についての言葉だったと思う。もしかしたら内と外の関係についての言葉だったかもしれない。
エッグの初演は自分が初めて劇場で舞台を見た記憶になる。難解だった。本で何度も読み直してみても、未だにわからない。家族に連れられて行った。
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一人で見に行った最初の芝居は、マームとジプシー『クラゲノココロ モモノパノラマ ヒダリメノヒダ』
「白」い記憶がある。
吉祥寺の、壁が白いカフェでこの劇団を知った。何かで見つけた「書を捨てよ町へ出よう」という言葉の響きに寄せられて、ただ出かけてみようと思った。アパート二階の狭い清潔な席に着いて、これではないと気づいた。
合格通知と入学式の間の、何者でもない自分がさらに何者でもない時間の、居心地の悪い白い時間。『書を捨てよ町へ出よう』をマームとジプシーという劇団がかけていたことを知った。公演は二ヶ月前に終わっていた。
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「あなたは自分のことを何者でもないと言うけど、何者でもないと思って欲しくないという気持ちが透けて見えるところが、嫌いでした」
そう言われているみたいだと思った。
本当は、「自分を忘れて幸せになってくれ」という手紙への返事なんだけど。
付けっ放しのラジオと、目覚まし時計の音で目覚める宙ぶらりんの主人公。大切なものを失ってからの一歩目がなかなか踏み出せないのに、外から自分を見つめる眼差しがいつのまにか存在している重さ。朝倉あきの凛とした、軽やかな姿とは対照的な話なのに、冷たさを感じない。
ラストシーンは、ラジオのかかる食堂で見せる彼女の笑顔がとてつもない破壊力だった。
大切だった人が自分で命を絶つことで、結果的に残されてしまった人が何をするか。中川龍太郎監督の前作『走れ、絶望に追いつかれない速さで』も似たテーマだったし、こっちはロードムービーのような話だ。
風景と記憶の関係、はこの映画の何かのセリフだったかもしれない。
好きな監督だったけど『四月の永い夢』は、川崎ゆり子が出ていたから見た。マームとジプシー常連の役者で、この人の声が好きだ。
そして、この映画の鍵でもある主題歌が、赤い靴の『書を持ち僕は旅に出る』だなんて。
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マームとジプシー『書を捨てよ町へ出よう』
71年に寺山修司が監督を務めた同名映画がある。話の流れはこれに沿っていたし、同名小説に出てくる話も取り入れていた。ただ、70年代の本だ。藤田貴大の脚本は、現代の劇場・表現を意識したものになるに違いないし、再演の今回は衣装・舞台装置に関わるクリエイターの役割も大きい。
「何してるんだい?暗闇のなかで、そうやって腰掛けて待っていたって何にも始まらないよ。スクリーンの中は、空っぽなんだ。いま、ここにいる俺たちだって待ちくたびれている。何か面白いことはないか。だれも、俺の名前を知らない。」
スクリーンから直接問いかけた、あの映画の冒頭。映画は、フィルター越しに色をつけられた世界をうごめく私を写したけど、藤田さんが見つけた現代の色は「銀」だった。
寺山修司の様々な要素を詰め込むコラージュ的手法と、藤田貴大の見せるサンプリング的手法はもしかしたら似ている。
映画のシーンや、映像、コント、短歌、神の視点として現れる川崎ゆり子。
舞台の最後は、映画の冒頭につながる。私が叫び、暗転する。重いものを運ぶ音だけが聴こえる。
「何してるんだい?暗闇のなかで、そうやって腰掛けて待っていたって何にも始まらないよ。」
あの時間、観客はそう問われて劇場を後にする。外へ出るのだ。劇場がどういう場所なのか。表現を見るというのはつまり、内に留まる時間なのか。どうせお前の名前なんて誰も知らないんだから。
路地を通して見つける世界
内と外をつなげる表現そのもの
負け続けた人間の行方
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内と外
記憶と風景
ひとりぼっちの町で、見えるものは何か。
寺山修司をもっと知りたい。没後35周年とは思えなかった。未来的なのかもしれない。過去の景色を通した言葉が、新しい景色に照らされて別の記憶に結びつく。そして現代の表現として別の景色になる。サンプリングすることで見える循環は、現代の自分にはとっつきやすいものだった。
そういえば、CRCK/LCKSは寺山修司の詩にも曲をつけてライブで演奏していた。小西さんは野田秀樹や寺山修司を好きみたいだし、個人で主催する「象眠舎」もきっとそこから取ってるはずだ。東京ガガガで園子温が叫んだ詩にメロデイーをつけた曲がある。