Laundry Land

いよいよ就活生。

40歳のオードリー若林にワクワクする。

『オードリーのオールナイトニッポン』18/11/17放送回。

今年のM-1グランプリ決勝進出者が発表され、唯一の"非吉本"として事務所の後輩であるトム・ブラウンが勝ち進んだことを祝福する話から始まったオープニングトークは、08年にオードリーが敗者復活から勝ち上がり、ズレ漫才ブームを世間に"ぶちかました"日のことを振り返る。

「キャラ漫才は通らない」という噂が流れていた敗者復活戦、諦めていた若林は原付で会場入りしていた。だから、奇跡的にオードリーが"時の人"に躍り出たその日、決勝の舞台を終えた彼は誰もいない深夜の敗者復活戦会場に原付を取りに戻ったという。その、テレ朝から大井町競馬場までのタクシー代1万円を春日に借りたのだ。

普通だと、返しなさいよ。というくだりの始まりである。

春日「未だに返ってきてないけどねえ」

若林「今返そうか?(財布から取り出して)返します。ありがとうね」

リトルトゥースは若林のこの感じを知っている。でも、(岡村隆史の言う)お笑いの教科書を見れば、このやり方は間違いであると書かれていたはずだ。


春日「そうじゃないじゃない。そりゃ言うけどさ、返さなくていいじゃない。返せよ、とは言うけど、何かワケ分からない理由つけて、もういいわ、みたいな」

若林「それ、何なの? 10年前は、ネタ作ってんの俺だから、みたいなこと言ってたかもしれないけど、もう40になって思うのは、いくら相方と言えどそういうとこちゃんとしないとヒビ入ってくるよ。30の芸人が話のネタとしてやるのはいいけど、この歳になってくると、そういうのはちゃんとした上でお笑い作った方がいいじゃない。だから、これ。ありがとね」

春日「いや違うじゃない。大人になるなよ」何やってんだよ。大人になるな」

若林「何それ?」

春日「別に返してほしかないんだよ!そういうつもりで言ったんじゃないの。そのくだりがあるから、で、表に出ろ。でいいじゃない」

若林「これはでも、もうダメだよ春日。リスナー聞いちゃってるから。これで1年後とかにまた返せよとか言ったら、あれ?ってなるじゃん。これはもう俺が返す風にしちゃったから」「何なのこれ?創作落語?饅頭怖いの逆みたいなこと?」「どうする、じゃあ五千円ずつにする?」

春日「いやいいのよ、返すなよ!返すなよ!借りたモノを返すな!」

若林「いやそんな世界あるの? でもあれだろ、あの時の一万の価値は今の一万と違うって話だろ?」「じゃあ、二(万円)で」

春日「つけるなよ!価値を返すなよ」

若林「じゃあ今はいいのね?むずかしいね。返さないほうがいいという世界なんだなあ。その辺ちゃんとしときたいけどね、40になったら」

春日「いいのよ、歳なんて。60、80になっても返せって話した方がいいのよ。それができなくなるから。それはもう、財産なのよオードリーの」

若林「一万円以上の価値があるの?」

春日「価値ある価値ある。一万円もらって、終わりにしたくないのよこんなの」

若林「いくらくらいの価値あるの?時価にして」

春日「それはもう、、三万くらいの価値でしょ」

若林「あ、じゃあ、三万返せばいいんだよね?(財布)」

春日「それはもういいよ!」

若林「わかった。勉強になった」

春日「たのむね」


だいぶつまみましたが、10分くらいこのやり取りは続いた。

くだりの正解を知るリスナー側にいる春日に対して、一万、五千、二万、三万と0以外の数字を提示していく若林。お前はごく当たり前のお笑いのくだりを理解してない風に俺を言うけど、普通に生活する人間の生理に従うのなら、そのお笑いというのは難しいね。と言うのだ。

手の内を明かさないかっこよさが昔はあったかもしれないけど、今は誰でも基本のルールを知っている。じゃあ別の方向で裏切るポイントを作らないと、それはただの様式美を示すだけのものになってしまう。それは意味があるのか?ラジオの若林からはそんなモヤモヤしたものを感じる。電話のガチャ切りや、ann週またぎ企画、宣伝事項の多さ、番組の情報解禁を気にする意味など、リスナーに関係ない、業界の通例をなぞる縛りに堂々とヘイトを口にする若林が好きだ。

 

金返せ!のくだり。バナナマン設楽と有吉の間にまったく同じものがある。昔ソープ代で貸した一万円を返してくれ、という話は有吉がバナナムーンに出演するたびに掴みとして出てくる。

お手本のような例だ。大物同士になった二人の関係性が、寝かせ続けたこの話に価値を発生させている。

さんまと紳助の間にもこんな話ゴロゴロある。ということは、お笑いの教科書に太字で書かれている。でも、その本はもしかしたら、というか多分、ボロボロになっているはずだ。


テレビの画面で見る若林は、最近若手層から中堅層に繰り上がってきたのかな?という印象だと思う。少しずつMC仕事の番組も目立ってきている。

ただオードリーは、相方のビジュアル的な変化の無さと、厚すぎるお笑い第三世代いわゆるアラフィフ中堅層のせいで、未だ若手のプレイヤーイメージを持たれていても不思議はない。永遠のプレイヤー側であり、最強スター春日に対し、"若手"としての若林は窮屈そうだった。ガールズバーに通いすぎて人見知り芸人を克服してしまった。というエピソードで払いのけられるほど、若林のそういった印象は薄くなかった。

40歳になった。テレビ、書籍、人物像。彼に対する理解が浸透してきた上に、今の世間は感覚的に若林を求めているように感じる。裏切りきれてない様式にもう価値を感じる方が難しい。

『ぱなおきゃとりーのもろもろのハナシ』を見たとき、オードリーはこのライン(華と実力を兼ねる、完成した東京芸人)にいるのかもしれないと思った。だけど多分違う。いつかこのラインに来るのかもしれないけど、当分はあのスタイルをなぞることは無いはずだ。若林には、ラジオで40歳という年齢をよく口にるようになってからずっと、破壊衝動を感じる。バナナマンおぎやはぎのスタイルは確かにかっこいい。だけど、若林はまだテレビにそのスタンスを持ち込み始めたばかりだ。


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オープニングを終えた後の若林のエピソードトークは、千鳥・佐久間P・加地Pとの食事会の話。(本人も「何か起こりそうなメンツ」と言っていたが、中身はそうでもなかったというオチだった)

感動した。『帰ろか、千鳥』からすぐ、プレイヤーとMCの両刀を確立した千鳥の代表フレーズ「どういうお笑い?」は、"借りたものを返しちゃう" というオープニングトークにまさに呼応しているじゃないか!!

同世代の2組の、まだまだこれからだ感にワクワクする。この層までカメラが降りてきたなら、出てくるお笑いも変わるのではないか。そうしたら、初めての変化になるんじゃないか。

テレビから離れている視聴者は、ボロボロの教科書をただの様式美として、大切には扱っていないような気がする。

(ボロボロの教科書を使った授業は、毎週ヤンタン土曜日にその著者がアイドル達に行っている)