アンコールに感じる僅かな寒さ
坂元裕二がプロフェッショナルで話した
「物語はこの人たち(登場人物)の都合だから。作者の都合が入るとそれは嘘になる」
フィクションなのに嘘って?という質問に対する答えだ。
この人の都合のようで、この人の都合じゃない。ということは多々あるように思う。
ライブにおけるアンコール問題。
アンコールが誰の都合であるのか。"そっち側" である人がこの問題を発信したことでいうと、西川貴教が少し話題になった。
アンコール。あれ、なんなんだろう。
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最近「俺たちがダブルアンコールもらえるバンドになるとは」というMCを聞いた。
いや、それは客電あげない限り客は察するでしょう。お前らのワンマンだぜ?と思った。
あ、照明がつかないからアンコールがあるんだ。の暗黙の了解はどこか嘘に感じる。様式美でしかない。
もちろん、ワンマンライブは大抵アンコールまでが1つの流れであることは分かっている。ツアーTシャツなんかで衣装を変えてきたり、物販紹介、レコーディング話、メンバー紹介、MC等、一度仕切り直して最後にありがとうと伝えるまでの1つの流れ。
今はもうワンマンのアンコールはオマケやプラスαではない。
だけど、ダブルアンコール。あれは何だろう。
足元のセットリストが見えたとき、事前にダブルアンコールが表記されていると冷める。
客電が上がらない限り、客はアンコールがあると分かる。ワンマンで、客電が上がらない状態で客が帰り始めることはほぼほぼない。
みんなハッピーになるんだから、そんな野暮ったらしいことを。とは思うけど、客電をあげないダブルアンコールはやっぱりリアル感じない。
そして、お約束だからサ。は一回までじゃないか。ダブルアンコールを、ハナからセットリストに組み込んで、客電を上げないのは、むしろ寒くないか。
もちろん、客電が上がってもアンコールの声が続くことはよくある。照明の演出なんか関係なしに、フロアは本気でアーティストにもう一曲やってくれと求めている。(客席全体が、というよりは前方の盛り上がった層だけ、というのが実際多いが。)
想定外のそれに、答える場合も答えない場合もあるけど、(やらない場合のほとんどは、小屋のレンタル時間とかの問題だと思っている)
"アンコール待ち状態" からのアンコールと "まだ帰りたくないからもう一度出てこい" からのアンコール。
どちらが盛り上がるかと言えば、それは断然後者の方だ。
客電が上がってもアンコールが止まらず、セットリストにもない。そんな状態でトリプルアンコールに応えたバンドのワンマンが最近あった。かっこよかったし、フロアの沸き方はすごかった。
ナンバーガールの解散ライブは今日はアンコールなしです。と向井秀徳が言った。
大森靖子も"音楽は魔法じゃない"と絶叫して、こんなにパンチのある最高の本編終わり、アンコールやるのか?どんな感じで始めるのか?とドキドキしたけどやっぱりアンコールはやらなかった。本編だけで勝負をつけに行くというのは、カッコいいものだと感じるけどどうなんだろう。
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対バン形式のライブハウス企画は、アンコールがないなんてザラだから、アンコールが起こるか起こらないかで客電をあげるかあげまいかを照明さんも見計らっている感じがする。
フロアとの距離も近い分残酷だとも思うけど、客がアーティストを引っ張り出すという意味では、分かりやすくて好きだ。
一回だけ、強烈な体験をした。
渋谷のキャパ100くらいのライブハウスの対バンイベントで、2組目のアーティストにアンコールが起こったのだ。多くのお目当はトリの演者だろうに、2組目のライブがとにかく盛り上がった結果そうなった。
高校1年生の、まだライブハウスに緊張するくらいの時にそんな大人たちを見た。フロアの熱量で演者はステージに帰ってくる。そのリアルに興奮したし、少し照れながら嬉しそうにもう一曲だけやった演者は余計輝いて見えた。
だからか、ワンマンとはいえお約束気味のアンコールにいつも少しだけ違和感を感じる。