Laundry Land

いよいよ就活生。

最近こんな感じ(4/8〜4/14)

4/8

授業が始まった。就活とは別の生活を思い出す場所にしたかったのに、三限が三年生に向けた就活指南の授業だった。夏休みは最低2,3社インターンに行けよというアドバイスに降伏。

「ひねくれ3」思ったより“ひねくれ”を感じなかったし、ゴッドタンの「腐れ芸人企画」に比べると刺激も薄いように感じたけど、この番組の“ひねくれ”は単なるラベルだと理解した。時代の最先端で新しい価値観を提唱する若者(初回ゲストが箕輪厚介)を紹介するためには、古い価値観に生きる上の世代へのマウントを感じさせず、いかにオブラートに包むかを考えないといけない。つまりここでいう“ひねくれ”とは「僕ら“ひねくれ”てるんですよ、だからうさん臭さいとか拒否したいとか思わないでね」という免罪符的なコピーなんだろう。でも、まどろっこしい手間を挟んだとしてもゲストの生き方やメッセージを伝える正攻法としてはこっちで、その視点が最近のテレビには圧倒的に少ない。これが坂上忍MCの番組だったら「反対する人いなかったの?」「なんでそんなことしようと思ったの?」という角度になると思う。それに対して山ちゃんは「その思考は後発でも身につくものですか?」「僕らはあなたにどう見えますか?」と掘り下げたうえで「僕たちすっかり牙を抜かれちゃってる」と笑いで布石も打っている。昼のラジオパーソナリティーが展開するトークに近かった。にしても「ひねくれ3」「松之丞カレンの反省だ!」佐久間さんから盗んでいる感がすごい。

 

4/9

未完成映画予告編大賞にエントリーされた「実りゆく長野」にまんじゅう大帝国竹内が主演していた。というかタイタンのマネージャーが監督ってなんだそれ。竹内は吃音の主人公を演じていて、そういえばフリクションの宣伝ムービーでもまんじゅう大帝国はしっかりした演技の仕事をしていた。アルピーが世に出したインパクトで“巻き物”に並ぶものは“まんじゅう大帝国”になるだろう。

 

4/10

uami×君島大空の曲が素晴らしすぎる。実家暮らしの貧乏人が最初に止められるインフラはAppleMusicだ。

本城雅人「友を待つ」週刊誌記者がスクープを追いかける長編。バディ物で子弟物は好物だし面白いのだけど、やっぱり最近の趣味ではなかった。

集英社推しの「さよならミニスカート」「青のフラッグ」をジャンプ+で読んだら、「青のフラッグ」に衝撃を受けた。高校三年生の男女四人組を中心にした学園物なのだけど、軸になる恋愛の矢印が示す方向は今までの少年漫画で見たことがない。夏祭りの花火が打ちあがるシーンなんて使い古されたシチュエーションも、セリフ無しの人物アップだけでこの物語が仕掛ける新しい儚さや苦しみが一目瞭然になる。しかも、話の核である“事実”が明言されるのは単行本では5巻あたりなので、言い出せないもどかしさを読者もたっぷり共有することになる。第32話は神回だった。学園物を俯瞰できてもおかしくない年齢なのに、それが全くできないから読んでいて良く分からなくなる。

青のフラッグ 1 (ジャンプコミックス)

青のフラッグ 1 (ジャンプコミックス)

 

Aマッソ加納YouTube新企画「ボケの壁」はすっかりお笑いを消費している私たちに対する“壁”でもある。司会に徹するMCが存在する番組と、評価軸を発信するMCが存在する番組では視聴者の視点は大きく異なる感覚を思い出して欲しい。「エンタの神様」「ENGEIグランドスラム」「日曜チャップリン」を見るときの気持ちと、「IPPONグランプリ」「座王」を見るときの気持ちは違うはずだ。後者は“笑いを評価”する目で、賞レースを見るときと同じように「それはフリが弱い」「そのボケは重ねすぎて寒い」などと頭の中で突っ込みながら見ているはずだ。つまり、その場で最もお笑いの実力が高い存在の視点に自分の視点を重ねて見ているわけで、その時は自分を松本やジュニアだと錯覚して楽しんでいるのだ。「その間は自分にはできない」「今のフレーズどうやって考えたんだろう」のように、芸人と自分の実力を比較しながらお笑いを見る人は少ないだろう。(関西で生きている人はこの目線で見ていそうだから恐ろしい)前回の「面接官 加納」に続く今回の「ボケの壁」でも、Aマッソ加納は“素人”をこの錯覚から覚まさせにかかっている。お笑い好きしか見ないようなYouTubeチャンネルとはいえ、一発目からこの企画をやるのはエグい。「どんなにつまらなくても絶対にツッコんであげる」とは言うものの「とにかくボケてくれ」と集めた素人に言い放つ番組を、普段“ジュニアの威を借る視聴者”である私たちはどっちの立場で見れるだろう。

 

4/11

今週の朝はどの番組も皇室特集。60年以上前に今上天皇がテニサーで活躍する姿を見てから出かける。面接終わりのエレベーターでミキと乗り合わせた。亜生細いと思ってたけど全然厚かった。授業は大変眠くて「ものするひと」二巻を読んで寝る。たほいや、したいな。

 

4/12(金)

光ヶ丘図書館に行く。雑誌が充実しているけど通い詰めるには地味に遠いのが難点で、団地と光ヶ丘公園を通り抜けると薄暗い建物にたどり着く。夜の公園より、とにかく人がたくさん生活してる団地の空気の方が怖い。君島大空「午後の反射光」をちょうど聞き終わるくらいの散歩は、ギターを背負った中学生や、放課後の小学生、缶チューハイで乾杯するトレンチ姉さん、いろんな人とすれ違う。

あさイチケンコバが代理MCで出ているのを見かけて、久しぶりにTENGA茶屋を3回分聞いた。大学入学当初から聞いていた番組は何も変わらないままで、“ガリ巨乳”にこだわっていた松浦さんがいい加減パートナーを見つけたいと熟女キャバクラに通いだした程度の変化しかなさそうだった。アインシュタインアメトーーク!に出ていたのを見逃したのは悔しい。

「テレビ千鳥」の“ゴチをやります”は爆笑した。ゴチのパロディで面白いものを作れるのはノブが本家“ゴチ”のレギュラーになったから。(今のゴチメンバーは過去最強、盤石な布陣だと思う)「食べるときのカメラは正面3の後ろナメ1」「ノブ越しの太鳳を撮る角度はこう」などノブの指示通りにやって「この画見たことある!」と興奮する大悟とテレ朝クルーたち。「全部のくだりで一回は太鳳ちゃんに質問しろってスタッフに言われている」「祈るブロックはだいぶ長め。一分半くらい撮る」という裏側も隣に大悟がいるから面白い。キングちゃん復活も期待したいけど、テレビ千鳥の継続を最優先に願う。大悟が地上波バラエティで煙草を吸うシーンがカットされないことすら嬉しい。

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“DreamエンタメRadio”こと「佐久間宣行のオールナイトニッポンゼロ」を聴く。番組が決まった報告を仲のいい芸人に報告して回り、みんなから祝福や応援の言葉を貰うなかオードリー春日には「一人でやるの大変すよ」とだけ言われた。というのがいい。アルピーの残党らしきリスナーメールや、有名はがき職人からの投稿に喜んでしまうあたりはハライチのターン初回の澤部に似ている。気合いの入った企画に“選手権”とつけるのはTVチャンピオン出身だかららしい。「芸人マジ芝居選手権」楽しみだなあ。

山田ルイ53世一発屋芸人列伝」読む。“消えた”一発屋芸人の現在のインタビューをもとに、彼らの生きざまや再生を願う本が雑誌ジャーナリズム賞作品賞を受賞した。

「ジョイマンは、これまで字面やエピソードトークだけで平面的だった自虐ネタの裾野を、ネットの世界にまで広げ、“立体的に自虐してみせた”」

「世間で“エンタっぽい”と評される元凶は「ネタ振りをする」→「自らツッコむ」→「各々のコスプレキャラに相応しい、流行りそうなフレーズを絶叫」を生み出した波田陽区

二丁目のオネエ様が披露するそれと同じくらい、一発屋業界の比喩フレーズや切り口は独自の進化を遂げていて面白い。特にムーディ勝山と天津木村の「バスジャック事件」は最高だった。決して日の目を浴びない芸能界の深層で起きた事件のルポは、人生の再生をかけた芸人同士のぶつかりあいそのもので、この一篇で雑誌ジャーナリズム賞を受賞したと言っていい。ただ「ツイッターはまさしく“幸せの青い鳥”だった」「矢口真里の写真集『ラブハロ!』は、今では“クローゼット”の奥深くで眠っている」のようなクサい部分も多くて結構引っかかる。水道橋博士「藝人春秋」を超えることはなかった。(三又又三の章が好き)

一発屋芸人列伝

一発屋芸人列伝

 
藝人春秋 (文春文庫)

藝人春秋 (文春文庫)

 

4/13

新宿で再上映していた「二十一世紀の女の子」を見に行く。“自分自身のセクシャリティあるいはジェンダーが揺らいだ瞬間が映っていること”をテーマに15名の監督による8分以内作品のオムニバス。15名全員が女性であることで不必要な女性らしさを排除しているように思う。「女の子が自殺する物語は(男が作った)幻想」と言い放つ「muse」で始まり「女の子は子供を産むまでは子供でいいとかタイムリミットを決められるのは死んでも嫌だ。その代わり夢の責任は自分でとれってこと」という宣言も含む「離ればなれの花々へ」で終わる。聞き取れたセリフの一部を切り抜いて分かった気になっているようで怖い。正直15本もあると一度じゃ全然追いつけなかった。角度が多い分“見た人の世界を変えてしまう映画になる”という言葉にはうなずける。(橋本愛インタビューより)「恋愛乾燥剤」「I wanna be your cat」「愛はどこにもいかない」「セフレとセックスレス」「Reborn」が好き、と絞ったつもりでも三分の一になってしまう。「Out of fassion」だけは“ジェンダーの揺らぎ”以上に、才能と将来を天秤にかける気持ちとか、才能のある人に対峙したときの何者でもない自分を意識する切なさとかを感じて「私はあなたの瞳の林檎」収録「ほにゃららサラダ」を読んだ時の気持ちとダブって別の気持ちになった。これは、ジェンダーという角度が持つ作品性だけを特筆する作品はいつか時代遅れのものになるということなんじゃないかとも思う。いや、やっぱり分からない。本作で中心となった山戸監督の「おとぎ話みたい」を見ようと思った。

 

4/14

「にけつッ」で通称“お笑い第七世代”のことを話していた。霜降り明星粗品がR-1決勝後のGYAO特別番組で「せいやに会いたい」と言っていたのが俺らの世代からしたら分からん。というケンコバとジュニア。あの世代は「頑張れ」って同期間で普通に言うもんな、照れていいことは一つもないけどなあ、俺らにはできんなあ、と。NSC卒業ライブでMCを務めた山ちゃんも不毛な議論で同じようなことを言っていたし、逆にカジサックは今の若いノリに合わせたことをやっているんだと思う。そしてそれがなんか気持ち悪いと思うのは、今まで"照れ"の笑いしか知らないからだとも。テレビの影響力すごい。

芸人マジ芝居選手権、面白かった。“短大出身芸人”ダイアン西澤・安田大サーカスクロちゃん・ジャンポケ斉藤(new)