Laundry Land

いよいよ就活生。

#WASEDAARENASUMMIT

大学四年になって、OBという肩書きを取得した。肩書きを誇れる奴は楽だと思う。ガリガリの体にはかけられるタスキの一本一本が重い。

後輩が先輩になっていくけど俺はどんどん離れていく。去年まで、ライブ制作のような活動を享受していたのが夢のように遠い。


アーティストの出演依頼、ギャラ交渉、会場の予約、デザインの用意、情報解禁、チケット販売、当日運営。全部やる。あの活動を通して、ありふれたライブイベントの一つ一つは大変な産物なのだと実感した。成立させているのは、カッコ良く言えば関わる人の情熱で、冷静に言えばビジネスとしての視線が必要なのだと。

自分がお世話になった人たちは、冷静と情熱の狭間、どちらかといえば情熱というか心意気を買ってくれる有り難い人たちだった。今の自分のスタンスに多大な影響を与えてくれた。


いろいろ学んだけど、実際に活動したのはサークルという枠の中で2年間ほど。イベント制作者という視点で過ごせた時間は本当に短くて、実際に企画を動かしている毎日は非日常であり続けた。

つまり、ずっとワクワクしていた。


ワクワクの中心にあったのは、ブッキングというやつだ。

このアーティストとこのアーティストを同じイベントに出すことの効果を期待して、ワクワクして、冷静に見直して、一般的な4組の対バンイベントを企画したのが最初。

自分が好きなものを掛け合わせる楽しさというのは誰でもわかるだろう。

ファッションも、時間割も、ドリンクバーも。

面白いだけじゃできないけど、それでも、このブッキングという活動は楽しい。


4組出演すると仮定して、1組の出演が決まると、残り3組の選択肢というのは、すでに決まった1組との相性を考える結果狭くなる。

ピタリとハマった組み合わせを試行錯誤して、それが用意できると、広報にも俄然力が入る。むしろこの組み合わせ以外正解はないような気がしてくる。この主催者のセンスを、出演者の化学反応を、楽しんでもらえるのだろうか。いや、楽しいのは間違いないからそれをどう伝えて実際の収益につなげるかが俺の仕事だ。なんて。


組み合わせの妙は実際にあるし、これが好きならこれも好きだろ、という半ばお節介なレコメンド精神が満たされる瞬間というのは、自ら表現者ではないという負い目を感じながらも確かにある。「○○目当てで見に行ったら××が良かったから思わずCD買っちゃった」なんてツイートは涙腺に直接響く。


ブッキングは楽しい。二会場のサーキットで出演者14組というイベントに関わった。音楽ジャンルの横断を歌ったユートピアは、主催陣営のとてつもない気合いと、気合いしかない主催の気持ちを汲んでくれる粋な人たちによって熱量を生んだ。

ブッキングは片手でギリギリ数えられるか否かという人数で担当して、迫り来る締め切りにビビりながらも、やっぱり楽しかった。

 

こんな経験を俺はした。それで終えた。


***

 

この夏、早稲田大学にどデカイ施設が生まれた。早稲田アリーナと呼ばれるその施設を早稲田祭で使わない手はない。大きなステージ、大量のキャパシティ。とにかく大規模なイベントを打つにはもってこいの会場。オリンピック開催のためにライブをできる大箱が少なくなるという、2020年問題なんてなんのその。早稲田生のための4ケタ収容の巨大箱。

この会場を使う最初の学祭の企画が解禁された。ビッグなメジャーアーティストのワンマン。

情報は拡散され、現在告知ツイートのリツイート数は4ケタを超える。

トップアーティストの出演は、収益という面ではおそらく及第点を叩き出すのだろう。


すごいことだ。


あの規模のアーティストと交渉し、出演承諾にこぎつけ、解禁日を調整し、情報解禁した。

これだけのことに、何箇所と何往復のメールを送り、いくつもの指摘を受け、いくつもの妥協と調整と粘りが必要だったか。想像できない。

それでも今日、何も知らないOBのもとに情報は降りてきた。すごいことだ。


***


この企画は、規模が大きい。

規模というのは単純に動員人数のことだ。客が多いとなると会場が大きくなり、予算が大きくなる。自分が経験した下北沢200キャパの企画の何十倍もの大きさなんて想像できない。

そして、招く人数が増えるということは、ホスト側も大所帯となる。通常の公演なら、事務所、レコード会社、イベント会社、制作、舞台チームというように、それぞれがそれぞれの立場で仕事をすること前提に協力する。当日の運営も、ブレインとプレイヤーのように訳も分からぬバイトを仕込んだりする。


ただ、学園祭のイベントというのは全て学生が行う。そして、今回のこの企画は、複数の団体が協力する形で解禁された。各団体に所属する人員は3桁に及ぶのだろう。


手を組んだ団体は、それぞれが普段から、各団体単体で魅力的な企画を開催するセンスと能力が揃う団体であり、所属人数が扱えるにふさわしい規模の企画を開催してきた。

それが今回、爆弾のような規模の会場を一枚岩になって相手し、ワンマンイベントを開催する。


***


本当にすごいことだ。


自分だったりやりたくないな、と白状できる。

どのような過程、どのようなやりとり、どのような使命、どのような気持ちを持って連盟を汲んだかは知りようがないけど、人がたくさんいる集団が決定をして、進めるというのは絶対に骨が折れる。


俺たちはこれで行く。

このアーティスト1組で勝負をかける。

運営は絶対めんどくさい。でもやる。


そう決めたのはすごすぎる。


自分はワンマンイベントを開催したことはない。

どんな規模であれ、ワンマンライブというのは、必然性そのものだと思ってる。

求める人がいて、求められる人がいる。それを接続する人がいる。心意気や、組み合わせの妙で勝負できる土俵じゃない気がしてしまう。違うかもしれない。


ただなんとなく、沢山の人が名を連ねて、沢山の人がそれぞれやりたいことがあって、そんな中で協力して、ワンマンイベントをするというのは、


わからない。

わからないけど、

きっと、我慢した人とか、悔しい思いをした人とか、諦めた人とか。

いるんじゃないかと勘ぐってしまう。


それでも、この企画をこの座組で開催することの意味を考えて、頑張ってるこいつのために全力で乗っかろうという心意気のやつがいて、いろんな気持ちを慮りながらも先頭に立つやつがいて、調整するやつがいて、器になったやつがいる。これは絶対にいる。

そう考えるだけで、なぜか昨日泣きそうになった。


デカイアーティストをデカイ箱にピタリとハメられました!やったね!

だけで喜んでるとは到底思えない。少なくとも初めての会場でこれから当日が待っているんだし、そんな気持ちで活動するような奴らじゃないとなんとなく思った。


なんかよくわかんなくなった。

さっきまで自分の同期と飲んでいたせいか、思い出とアルコールが変にそっちに持っていこうとしてしまっている。

逆に、OBという襷を一度かけられると、もう二度と本気でイケイケで勝負してやろうという気持ちにはなれないんだなと改めて思った。別の場所を見つけるしかないのだな。感傷的にしかなれないんだやっぱりな。


くそったれ。

いや、本当、本当は関係ないんだけど。嬉しいわ今。終電間に合ったもん。