Laundry Land

いよいよ就活生。

本を枕に冬眠しようとしたらエモくなった

ロロのいつ高を観に行ったのがもう1ヶ月も前になってしまった。師走ってすごい。あの日ロロを観に行ったために切った授業の出席がいよいよやばかったり、金がないのに楽しく酒を飲める場に逃げたいとばかり考えたり、自分のストロングポイントを300字にどうまとめるかばかり考えてたら師走も終わりそうになってる。師匠ゴールテープ寸前。

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どうでもいいことだけを喋っていたいと思っていたけど、違った。残念だけどもう無理なんだと思う。そういうことがしたいから、どうでもいいことを喋るためにどうでもいいことを喋っているんですよ僕は、という自意識が生まれてしまうくらいには俺たちは賢くなった気がする。どうでもいいことを本気でやってるから尊いんだと思う。それはもう無理。疑似体験をするために、俺たちは本や漫画を読む。


でもさ、やっぱり何か話したいじゃん。それが今だしさ。知らないけど、今らしさって今しか出ないらしいし。俺たちは多分、悲しかったり怒ってたりするとよく喋るけど、嬉しいとか楽しいとかの時は言葉いらなくなるじゃん。でもそこをちゃんと言葉にする人って素敵だなあと思いました最近。自分に確認させるために言っているのか、悲しかったり怒ってたりする人がたくさんいる夜への表明のために言っているのかは分からないけど。その行為を発明にすら感じた。むちゃくちゃいいじゃん。


もう番組も終わるけど、混迷の現代ってそういうこと?調子よくいきましょう。自由に。俺たちにはその権利がある、って。それなりに結構励まされていたんだけど。それはなんか、まだやっぱりラジオコンテンツ部門の第1位みたいなところがあったのかもしれない。生の言葉じゃなかったのかもしれない。少し悲しいけど。とにかく、調子よくいくことを目指そうと決めて色々やったけど、それの答えってまさかこんなところにあったのか?酔っ払ってるけど忘れたくねえなこれ、と思った、気がする。


楽しいとか美しいとかダサいとかの基準を余裕で飛び越えてくるのが、純粋ってやつなのかもしれんと思う。それぞれの尺度がぼんやりしているからこそ、真剣にどうでもいいことを話して興奮できた小学生から高校生までの時間は、多分不純ではないだろうから。あと、寛容。こいつバカバカしいこと言ってらあ、ってことを切り捨てる勿体無さたるや。自分の欲を満足させる可能性が透けた人や言葉なんかより、マジなバカバカしさの方をどう考えたって大切にしたい。


ロロ『本が枕じゃ冬眠できない』

衿沢世衣子『シンプル ノット ローファー』

lute『それでも告白するみどりちゃん』

津村記久子『ミュージック・ブレス・ユー‼︎』


最後の本が、いつ高図書館の本棚に入っていたのを見つけた。高校時代に読んだ本で一番好きだった本だと思う。創作の中の人で友達になりたいと思ったのはオケタニアザミしかいない。こいつは奇跡の人だと思った。

結局うちらも解散ってことか、ああでももう無理にアヴリル・ラヴィーンを聴かなくてもいいし、歌に入る時にさなえちゃんが俯いてまつげを伏せ、斜め下を見る、あの作り込んだリアクションを見なくてもいいんだなあ、と安堵の笑みが浮かんでしまう。

そんなお前は最高だぜって言いたい。あなたみたいになりたい人がたくさんいるはずだと伝えたい。

 

私たちに愛される 私たちのリアルな漫画は すでに両手に何かもってて 離したり掴んだりストーリー

本当の私なんかは なんにももっていないですから それは漫画や歌なんかを 掴んだり離したりするのです

解散ライブに行ったのを思い出した。そんなに傾倒していたわけでも聴いてきたわけでもないのに、解散ライブだけ行った。俺たち世代のバンドだったなんて意識したことなかったから、会場に同世代の、どちらかといえばキラキラした人たちがたくさんいて驚いたのを覚えてる。どちらかというと暗い曲を描く人だと思っていたから。彼らの新バンドの現場だった。俺ら世代の人はもう高校生じゃなくて、大人に差し掛かった人たちで。手をあげたり酒をたくさん飲んだりしてはしゃぐことなく、じっと聴いてさっと帰って行った。やってる音楽に世代が追いついてきたのかしら、なんて思いながら、ちゃんとは聴けなかったけどなんか好きだなと思った。


年末にハッピーなことってあるもんだな大賞。秋に見た『きみの鳥はうたえる』がすごい好きな映画で、これ俺じゃん、とか思っちゃうくらい、分かってしまう映画だったんだけど。それを俺は一人で見て一人ですごい興奮して、師走に入って。俺が今必死で300字にまとめようとしてる時間を共有した人たちに会った時、結構興奮しながら同じようなことを思ったと言っていて、なんかすげーよかった。調子よくいこうぜ。おれらにはその権利がある。

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2018/12/20 CRCK/LCKS

明日はインターンの面接が一つあって、明日の午前中提出のエントリーシートが一つあるから、準備をしなきゃいけないのはとてもよくわかっていて、やれと言われてることでもないから当然やるし、でもこれがずっと続くと思うともう屁が「へ」じゃなくて「も」なんじゃないかとか思って今電車に乗って帰るんですけど。やってらんねえよ俺将来どうなんだよ、将来というか俺は3ヶ月先のことくらいの感じでやってるけど、いやこればっかりはマジで将来の話だからウケる、って頭の中のビリギャルが喚いてるけど石川恋の言ってるその将来ってのが「しょうらい」なのか「いみみみ光線」なのか分からない後醍醐天皇。中学受験の地頭。粗品

CRCK/LCKSが今年も一位を叩き出して鏡の回転扉から出てきました。ベストヒット。中森明菜。なんかぁ、、伝説の、?アイドル?中森明菜、、さん、?からマイクもらって、、。設楽さん優勝おめでとう。髪型が似てるんじゃね。粗品

 

最高バンドクラクラ。初めてライブ見てから丸2年と何ヶ月だろう、ずっと一位。バナナマンさんを追い抜けるように頑張ります。いや、俺らも進んでるからね笑。これは設楽。

そんなことはどうでもよくて、このバンドがいるから生きていける、じゃないけど、このバンドがいる限りは俺は調子よくやっていけるんじゃん。っていうことを自分自身が忘れていたことに驚いたくらい久しぶりのライブで超楽しかった。もうそれはこのバンドがどれだけ売れようがデカいところでやろうが、それが全席指定の立ち上がるの禁止アリーナじゃない限りはなんでもよくて、バーカンがないのはダメだけど、要はフェスだろうがzeppだろうが、俺が普段バイトしてるようなキャパのところに俺が初めてチケット買って行くとしたらそれはもうクラクラであったくれれば最高。なくらいの、音楽の塊でライブの原体験なんだなと改めて思った。卒業論文はいいとして卒業文集なんてものがもし大学であるのなら俺はそれはクラクラに書く。ありがとう。あなたたちの一音一音、一言一言に愛を捧げる。

そしたらもう寺山も園子温も愛する。嘘。それはなんか嫌だ。

 

なんか久しぶりに一方的に前向きにしてもらえた出来事すぎて強烈にハッピーになれた。どんな人生になろうがもう絶対ハッピーで終わるじゃん勝ち確じゃん。病室でハミングしながら死ねるならもうそれでいいじゃん。9代目はその場しのぎ。粗品

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M-1を見て思ったこと

バガボンド』のオススメは26,27巻。宮本武蔵が吉岡一門70人をひたすら倒し続けるだけに丸二冊分費やしている。"一方その頃佐々木小次郎は" のような展開もなく、1対70の描写がとにかく延々と、武蔵が斬り続ける。これが超面白くて、バガボンドはこの二冊だけ持ってる。登場人物とか話とか全く関係ない。

その中で、70人が待ち構えた広場にたった一人現れた武蔵。怪物じみた強さで次々と吉岡一門を切り捨てていく様子を前に、一門の一人がこう言う。

「兄者...ワシらはどこか覚悟が足りなかったんやないのか...?数の利に心がどこか寄りかかっておったんやないのか...?現にワシなどは今朝...(食べた餅の余りを)家に帰ったら雑煮に入れて食おうと思ってとっといた。今朝ここでワシまで死ぬとは思うてなかった。勝敗はワシらに関係のないところで早々に決すると...一人でここに来たあいつの覚悟に比べて恥ずかしい。・・・兄者。肚を決めたっ!故郷の父さん母さんを頼みます!」

そう残して武蔵に斬りかかったそいつも、無惨に殺される。

 

霜降り明星せいや「僕、大阪の家で、明日食べるように鍋作っといたんですけど。あれ食べられないんですね」

陣内・久保田「食えるか!しばらくホテル泊まりや!」

勝ってしまえばなんとでも言える。1対4640の王者は、大阪の鍋を腐らせながら東京を飛び回る。

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敗者復活戦、決勝戦GYAO!、ストゼロチャンネル。今年のM-1はずっと見てしまった。金属バットが準決勝に進んだあたりからワクワクしてきて、三回戦・準決勝のネタもたくさん見れた。面白かった。こんなに夢中になるつもりもなかったのに。

今週は、色んなラジオだアベマだも巡回してしまう。アベマのザナイトなんて久しぶりに見た。ただ、アフタートークの部類はこっちにしたらやっぱり見たいから嬉しいけど、当日の打ち上げまでの二番組がいかに酷なのか「くぼたけちジョーカー反逆事件」である程度察する。

 

M-1の次の日のタイムラインを見て思う。これだけ感情と文脈が剥き出しの素材があると、それをそのまま引用してキャプションをつけただけのツイートが数万リツイートになって吹き出してくるんだなあと。どこを切り抜くかのセンス?そんなんもあるかもしれないけど、全部見た人なら誰でもできるくらいこのお祭りはそれの塊だったぞ。録画時代からSNSネットニュース時代、もはや見なくてもいいんだってさ。見なくても、見たという体験を味わえるなんて。まさにこれだ。

 

 

そんな、見なくてもいい時代。今年のM-1の視聴率が発表された。おろ?年々上昇してるらしいぞ。キャンドルジュン。大丈夫おもろい。

Tverやオンデマンドコンテンツなどの後追い視聴体制が整うなかで、逆に生放送の番組の注目度は増していく流れにあるらしい。後から見る、もはや見なくても見た気になれる。そんな都合のいいネットやSNSを使いこなせる現代人が、"自分が見る"ということに価値を置いて「ネタバレされたくないから電波を遮断した」なんて真逆の不便性さえを求める生放送の価値って何ぞや。焦げランブルエッグや。こんなキャンドルはジュンだ?は?

(連想してしまうのは、100期連続聴取率一位を達成しているTBSラジオが昨日、今後スペシャルウィーク辞めます宣言をしたことだけど。まあこれはまだよくわからん。月曜の伊集院が楽しみ)

アメリカの「スーパーボウル中継」は、スマホ元年と言われる2010年以降、それまでの40%台前半の視聴率から一気に40%台後半へとハネ上がり、以後もずっとその状態をキープしている。要は、スーパーボウルの中継を見ながらSNSにアクセスすると、皆が自分と同じ思いでいることが確認できたんですね。そんな“同時体験”の快感に視聴者が目覚めたのだ。

ふーん。だってよ。

 

スーパーボウルといえば、ハーフタイムショーがねえ。マルーン5が渦中にいるらしいけども。

http://fnmnl.tv/2018/11/18/62538

まあそんなことはよくて、今週のアメリカの「マンデーナイトフットボール」のハーフタイムですよ。『キャプテンマーベル』の最新予告映像が解禁しましたね。きたきたこれ、おい。

おい。

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おい。

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お前激似じゃねえか!倒せ倒せサノス倒せオルァ!!

 

 

 

エンドロール帰宅

社会ってやつは意地悪らしくて、また一番後輩からスタートするらしい。これからが人生だなんて全く意地が悪い。自由に行きましょう、それがどんなに難しくても。ちゃんとまじめに。CMです。

ありがとうN/K。池袋から歩き始めた時刻は1時。新歓が始まるのかってくらいの湿度と気温に晒されてこれから1時間、一切のドラマもジョークもない、ただ終電を逃したがための移動の1時間。お送りもお届けもお見送りもない師走も三日目。クラウチングスタートを決めた師匠が慌てふためいて深夜にしては明るすぎるぜ東京は夜の一時。

ポップクイーンもドラァグクイーンも目覚めるには早すぎる、変な湿度と気温と書き直しなんて一切しない酔いが覚めるだけの移動の時間、しかも徒歩。しかも徒歩。粗品

***

二度目の引退をした、らしい。いつも通りすぎると逆にいつでも戻れるように感じる。組織にいた時間は、後輩をどれだけ身近に感じたかで逆算できる。はて面妖な。昨日主役だった後輩が、今日役職についていた。童話の始まりのように収まりがいい。東海道中膝栗毛。やったことのないことは分からない、それを認めるのが一歩目だとしたらこっちのハンバーグ師匠はさっきも言った通りクラウチングスタートを切ったもんで全く分からない。じゅう〜。自由に行きましょう。それがどんなに難しくても。

***

ありがとうN/K。堂々巡りのようだけど、着実に家に近づいてる感覚はあるよ。

それにしても、昨日は良かった。一年半以上前に自分はここで、なんていうドラマチックな感慨は無理矢理出そうとしても違和感を感じてしまうくらいの自意識で、懐かしさの演出にも感じる匂いをかいでそこにいた。ただそこにいただけだったけど楽しかった。M-1の次の日に見る対バンイベントは変な目線になって邪魔だった。アナザースカイはどこですかと訊かれても下北沢なんて絶対出てこない程度の安心を感じながら、なんか世界変えちゃいそうって真面目にふざけてる、なんて聞いていた。新曲だったらしい。

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聞いてもないのに楽しそうに話してくるやつはどちらかというと苦手だけど。求めてもないのに偉そうに話しかける先輩であったかもしれないと思うとどうしようもない。ただ家に向かって歩くしかない。

自分はこれをこうしたくてこうがんばっただなんて、一番言うだけ野暮だと思っていたことをシュウカツってやつはズケズケと。書くのがめんどくさい、振り返っても何もない、そんなことじゃない。今までのやり方と真っ向勝負を仕掛けてくるエントリーシート。なんとかシートってもうレジャーシートくらいしか知らないんだけど、あれってもっとワクワクするものだったような。でも仕方がない、俺はそいつと三年間付き合ってきてないから。30秒で審査するなら俺のそういう野暮ったいことはなんか嫌だと思ってきた粋な夜電波なんて粋なのかも分からない番組のリスナーとして自分をハッシュタグ五つにまとめましょう。ギャルの姉ちゃんなんか褒めてくれなはれ。

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褒める、のはおこがましい。熱量を感じた。考えれば考えるほど時間は味方になる。二周できる知らない可能性に俺ならかける。羨ましいと思ったことは一度もないけど、もしかしたら羨ましいと思うのかもしれない。それは期待ではなくて自然な思いつきだけど、自分一人で調子良ければそれでいいと言い続けるほどのスポコンではなかったから。そろそろなんか欲しい潮時かもしれないエンドロール。

***

年貢の納め時という死語。エンジョイミュージッククラブという気候。死人に梔子、タトゥーありのR-指定。

聞かれてもないのに、俺はこれがこうでこうしたいと話す人が好きだ。そうなれないから。なれたとしても後ろめたさを感じる作りに改造されたわけでもないのに面倒くさい。かっこいいじゃねえか。

これで引退。制作期間数年。大型ノミネートなし。それでいいじゃん、褒めて欲しいわけでもない。手元に何か残ればいいだなんて考えたら終電逃して歩いてない。後輩が可愛いなんてずるい言葉だ。お年玉くれない親戚のじじいと同じだ。楽しかった。それでいいわ、どうせ一番後輩からまた始まるんだから。クソが。

トイレに行きたい。きっかり1時間。そろそろ家。おやすみなさい。

アンコールに感じる僅かな寒さ

坂元裕二がプロフェッショナルで話した

「物語はこの人たち(登場人物)の都合だから。作者の都合が入るとそれは嘘になる」

フィクションなのに嘘って?という質問に対する答えだ。

この人の都合のようで、この人の都合じゃない。ということは多々あるように思う。

 

ライブにおけるアンコール問題。

アンコールが誰の都合であるのか。"そっち側" である人がこの問題を発信したことでいうと、西川貴教が少し話題になった。

アンコール。あれ、なんなんだろう。


***


最近「俺たちがダブルアンコールもらえるバンドになるとは」というMCを聞いた。

いや、それは客電あげない限り客は察するでしょう。お前らのワンマンだぜ?と思った。

あ、照明がつかないからアンコールがあるんだ。の暗黙の了解はどこか嘘に感じる。様式美でしかない。

もちろん、ワンマンライブは大抵アンコールまでが1つの流れであることは分かっている。ツアーTシャツなんかで衣装を変えてきたり、物販紹介、レコーディング話、メンバー紹介、MC等、一度仕切り直して最後にありがとうと伝えるまでの1つの流れ。

今はもうワンマンのアンコールはオマケやプラスαではない。


だけど、ダブルアンコール。あれは何だろう。

足元のセットリストが見えたとき、事前にダブルアンコールが表記されていると冷める。

客電が上がらない限り、客はアンコールがあると分かる。ワンマンで、客電が上がらない状態で客が帰り始めることはほぼほぼない。

みんなハッピーになるんだから、そんな野暮ったらしいことを。とは思うけど、客電をあげないダブルアンコールはやっぱりリアル感じない。

そして、お約束だからサ。は一回までじゃないか。ダブルアンコールを、ハナからセットリストに組み込んで、客電を上げないのは、むしろ寒くないか。


もちろん、客電が上がってもアンコールの声が続くことはよくある。照明の演出なんか関係なしに、フロアは本気でアーティストにもう一曲やってくれと求めている。(客席全体が、というよりは前方の盛り上がった層だけ、というのが実際多いが。)

想定外のそれに、答える場合も答えない場合もあるけど、(やらない場合のほとんどは、小屋のレンタル時間とかの問題だと思っている)


"アンコール待ち状態" からのアンコールと "まだ帰りたくないからもう一度出てこい" からのアンコール。

どちらが盛り上がるかと言えば、それは断然後者の方だ。

客電が上がってもアンコールが止まらず、セットリストにもない。そんな状態でトリプルアンコールに応えたバンドのワンマンが最近あった。かっこよかったし、フロアの沸き方はすごかった。

ナンバーガールの解散ライブは今日はアンコールなしです。と向井秀徳が言った。

大森靖子も"音楽は魔法じゃない"と絶叫して、こんなにパンチのある最高の本編終わり、アンコールやるのか?どんな感じで始めるのか?とドキドキしたけどやっぱりアンコールはやらなかった。本編だけで勝負をつけに行くというのは、カッコいいものだと感じるけどどうなんだろう。


***


対バン形式のライブハウス企画は、アンコールがないなんてザラだから、アンコールが起こるか起こらないかで客電をあげるかあげまいかを照明さんも見計らっている感じがする。

フロアとの距離も近い分残酷だとも思うけど、客がアーティストを引っ張り出すという意味では、分かりやすくて好きだ。


一回だけ、強烈な体験をした。

渋谷のキャパ100くらいのライブハウスの対バンイベントで、2組目のアーティストにアンコールが起こったのだ。多くのお目当はトリの演者だろうに、2組目のライブがとにかく盛り上がった結果そうなった。

高校1年生の、まだライブハウスに緊張するくらいの時にそんな大人たちを見た。フロアの熱量で演者はステージに帰ってくる。そのリアルに興奮したし、少し照れながら嬉しそうにもう一曲だけやった演者は余計輝いて見えた。

だからか、ワンマンとはいえお約束気味のアンコールにいつも少しだけ違和感を感じる。

ENCORE

ENCORE

 

タラタラタラタラ

『A子さんの恋人』一巻の1ページ

A子が半紙に向き合うシーンから始まる。

さて、と正座をして筆を取るのだが

タラ、と髪の毛が垂れ。タラ、と筆から墨汁が垂れ。タラ、と半紙を持ち上げた文字からも垂れる。

本筋ではないところの暗喩がとにかく上手い近藤聡乃の技が冒頭から溢れ出ている。

 

***

 

さて、とエントリーシートの課題と向き合う。髪の毛は切ってある。墨汁じゃなくてキーボードの入力だ。

タラ。

なに?

タラ、タラ。

なんだなんだ?

タラ、タラ、タラ

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(タラタラしてんじゃねーよ)

 

***


紫の髪に緑のバンダナ。1962年発売だから56歳、甲本ヒロトの一個上。

「お前、音楽で飯食えたんだな。よかったな。自分のやりたいことで食っていけるっていいよな、羨ましいよ。最近の若者は音楽を聴かないから、テレビを見ないから、車も持たないし結婚もしないし、タバコも博打もやらないから。そんな言い訳ばかりが浮かぶのが情けないよ。

でもさ。

あいみょん、分かるか?君はロックなんか聴かない って曲書いてさ、売れてんだよ。今年紅白も出る。あと、スプラトゥーン、知ってるか?お前が端に追いやったイカだよ。今小学生がそいつらに夢中だよ。タラちゃん?ああ、もちろん。まだ日曜にみんな見てる。あいつもまだガキのままさ。

お前も、ガキみたいにキラキラした目でギター抱えて歌ってたよな。変わってないよ。俺なんてほら、濁っちまった。毎日ネクタイ締めてさ、ビクビクしてるよ。

みんなそうさ。何も失ってないのに、何かを取り戻そうとしてる。

デカイ会社に入って、偉くなってして金稼いで、結婚して家建ててガキ作ってさ。そんな当たり前がいつのまにか"当たり"になっちまった。誰もが自分の当たりの可能性にワクワクしてたけどさ、この歳になると嫌でも結果が分かっちまう。当たりかはずれか、答えが出てからも人生っていうのは長いなあ。それなのに。お前はまだ、56歳になっても、人生の"当たり"か"はずれ"かなんて開けてみなきゃわからねえって言うだろう?当たりもはずれも自分次第で、人と比べるもんじゃねえって。その通りだよな、、未来を持ち続けているうちは人って強いよ。

・・・ごめんな。また俺ばかり喋っちまった。

おう、お前も元気にやれよ。

じゃ」

 

***

 

じゃ。じゃねえよ。

何やんってんだ早くエントリーシート書けよ。

 

まあ。さて、駄菓子とお湯割で延々と飲む季節がやってきたよ!

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***



40歳のオードリー若林にワクワクする。

『オードリーのオールナイトニッポン』18/11/17放送回。

今年のM-1グランプリ決勝進出者が発表され、唯一の"非吉本"として事務所の後輩であるトム・ブラウンが勝ち進んだことを祝福する話から始まったオープニングトークは、08年にオードリーが敗者復活から勝ち上がり、ズレ漫才ブームを世間に"ぶちかました"日のことを振り返る。

「キャラ漫才は通らない」という噂が流れていた敗者復活戦、諦めていた若林は原付で会場入りしていた。だから、奇跡的にオードリーが"時の人"に躍り出たその日、決勝の舞台を終えた彼は誰もいない深夜の敗者復活戦会場に原付を取りに戻ったという。その、テレ朝から大井町競馬場までのタクシー代1万円を春日に借りたのだ。

普通だと、返しなさいよ。というくだりの始まりである。

春日「未だに返ってきてないけどねえ」

若林「今返そうか?(財布から取り出して)返します。ありがとうね」

リトルトゥースは若林のこの感じを知っている。でも、(岡村隆史の言う)お笑いの教科書を見れば、このやり方は間違いであると書かれていたはずだ。


春日「そうじゃないじゃない。そりゃ言うけどさ、返さなくていいじゃない。返せよ、とは言うけど、何かワケ分からない理由つけて、もういいわ、みたいな」

若林「それ、何なの? 10年前は、ネタ作ってんの俺だから、みたいなこと言ってたかもしれないけど、もう40になって思うのは、いくら相方と言えどそういうとこちゃんとしないとヒビ入ってくるよ。30の芸人が話のネタとしてやるのはいいけど、この歳になってくると、そういうのはちゃんとした上でお笑い作った方がいいじゃない。だから、これ。ありがとね」

春日「いや違うじゃない。大人になるなよ」何やってんだよ。大人になるな」

若林「何それ?」

春日「別に返してほしかないんだよ!そういうつもりで言ったんじゃないの。そのくだりがあるから、で、表に出ろ。でいいじゃない」

若林「これはでも、もうダメだよ春日。リスナー聞いちゃってるから。これで1年後とかにまた返せよとか言ったら、あれ?ってなるじゃん。これはもう俺が返す風にしちゃったから」「何なのこれ?創作落語?饅頭怖いの逆みたいなこと?」「どうする、じゃあ五千円ずつにする?」

春日「いやいいのよ、返すなよ!返すなよ!借りたモノを返すな!」

若林「いやそんな世界あるの? でもあれだろ、あの時の一万の価値は今の一万と違うって話だろ?」「じゃあ、二(万円)で」

春日「つけるなよ!価値を返すなよ」

若林「じゃあ今はいいのね?むずかしいね。返さないほうがいいという世界なんだなあ。その辺ちゃんとしときたいけどね、40になったら」

春日「いいのよ、歳なんて。60、80になっても返せって話した方がいいのよ。それができなくなるから。それはもう、財産なのよオードリーの」

若林「一万円以上の価値があるの?」

春日「価値ある価値ある。一万円もらって、終わりにしたくないのよこんなの」

若林「いくらくらいの価値あるの?時価にして」

春日「それはもう、、三万くらいの価値でしょ」

若林「あ、じゃあ、三万返せばいいんだよね?(財布)」

春日「それはもういいよ!」

若林「わかった。勉強になった」

春日「たのむね」


だいぶつまみましたが、10分くらいこのやり取りは続いた。

くだりの正解を知るリスナー側にいる春日に対して、一万、五千、二万、三万と0以外の数字を提示していく若林。お前はごく当たり前のお笑いのくだりを理解してない風に俺を言うけど、普通に生活する人間の生理に従うのなら、そのお笑いというのは難しいね。と言うのだ。

手の内を明かさないかっこよさが昔はあったかもしれないけど、今は誰でも基本のルールを知っている。じゃあ別の方向で裏切るポイントを作らないと、それはただの様式美を示すだけのものになってしまう。それは意味があるのか?ラジオの若林からはそんなモヤモヤしたものを感じる。電話のガチャ切りや、ann週またぎ企画、宣伝事項の多さ、番組の情報解禁を気にする意味など、リスナーに関係ない、業界の通例をなぞる縛りに堂々とヘイトを口にする若林が好きだ。

 

金返せ!のくだり。バナナマン設楽と有吉の間にまったく同じものがある。昔ソープ代で貸した一万円を返してくれ、という話は有吉がバナナムーンに出演するたびに掴みとして出てくる。

お手本のような例だ。大物同士になった二人の関係性が、寝かせ続けたこの話に価値を発生させている。

さんまと紳助の間にもこんな話ゴロゴロある。ということは、お笑いの教科書に太字で書かれている。でも、その本はもしかしたら、というか多分、ボロボロになっているはずだ。


テレビの画面で見る若林は、最近若手層から中堅層に繰り上がってきたのかな?という印象だと思う。少しずつMC仕事の番組も目立ってきている。

ただオードリーは、相方のビジュアル的な変化の無さと、厚すぎるお笑い第三世代いわゆるアラフィフ中堅層のせいで、未だ若手のプレイヤーイメージを持たれていても不思議はない。永遠のプレイヤー側であり、最強スター春日に対し、"若手"としての若林は窮屈そうだった。ガールズバーに通いすぎて人見知り芸人を克服してしまった。というエピソードで払いのけられるほど、若林のそういった印象は薄くなかった。

40歳になった。テレビ、書籍、人物像。彼に対する理解が浸透してきた上に、今の世間は感覚的に若林を求めているように感じる。裏切りきれてない様式にもう価値を感じる方が難しい。

『ぱなおきゃとりーのもろもろのハナシ』を見たとき、オードリーはこのライン(華と実力を兼ねる、完成した東京芸人)にいるのかもしれないと思った。だけど多分違う。いつかこのラインに来るのかもしれないけど、当分はあのスタイルをなぞることは無いはずだ。若林には、ラジオで40歳という年齢をよく口にるようになってからずっと、破壊衝動を感じる。バナナマンおぎやはぎのスタイルは確かにかっこいい。だけど、若林はまだテレビにそのスタンスを持ち込み始めたばかりだ。


***


オープニングを終えた後の若林のエピソードトークは、千鳥・佐久間P・加地Pとの食事会の話。(本人も「何か起こりそうなメンツ」と言っていたが、中身はそうでもなかったというオチだった)

感動した。『帰ろか、千鳥』からすぐ、プレイヤーとMCの両刀を確立した千鳥の代表フレーズ「どういうお笑い?」は、"借りたものを返しちゃう" というオープニングトークにまさに呼応しているじゃないか!!

同世代の2組の、まだまだこれからだ感にワクワクする。この層までカメラが降りてきたなら、出てくるお笑いも変わるのではないか。そうしたら、初めての変化になるんじゃないか。

テレビから離れている視聴者は、ボロボロの教科書をただの様式美として、大切には扱っていないような気がする。

(ボロボロの教科書を使った授業は、毎週ヤンタン土曜日にその著者がアイドル達に行っている)